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◆新改革通信 目次◆

松岡幹夫氏文書一覧

●新改革通信(22〜43号)

●新改革通信(44〜52号)

大石寺の桜伐採の写真

◆同盟通信(104〜112号)


[57]TITLE:新改革通信 90号    2008/8/30   
name:管理人


新改革通信 第90号
平成二十年八月三十日発行

じわじわと、早瀬ファミリーを中心に、〃日如体制〃が出来上がりつつある。
次期法主は日如次第か。気をもむ、日顕・信彰親子。

日如が登座した時、本山周辺では
「五年で信彰に交代だろう」
と、日如は〃つなぎの法主〃と位置づけられていた。
ところが、最近では、
「どうも、日如さんは、死ぬまで猊座を降りないつもりらしい」
と、宗内の一部でささやかれている。

●内事部を押さえ、宗務院も抑えつつある早瀬家

 その噂を裏付けるかのように、今、じわじわと宗門に〃日如体制〃が出来上
がりつつある。すなわち、日如の父親の早瀬日慈が主管をしていた法道院出身
や日如が住職をしていた大願寺在勤者が要職を占め始めているのだ。

 主任理事は日如の義弟である佐藤慈暢だが、内事部のセンター長に、もと法
道院在勤の吉田道善がついた。これで内事部は早瀬ファミリーで固まった。

 宗務院を見ると、海外部長の漆畑行雄と、副教学部長の宮野審道は、法道院
出身。海外部の野村信導と佐藤正俊は大願寺在勤者である。

 また、漆畑は下条妙蓮寺の住職でもあり、妙蓮寺も早瀬家のものとなった。

 さらに、宮野は「大日蓮」出版代表者である。いずれ、宮野が教学部長にな
るのであろう。
問題は庶務部だ。庶務部長は阿部信彰だから、日如の思い通りにはならない。
実質、日顕の指示で動いている。

 ただし、副部長の斎藤栄順は日如が庶務部長時代からの子飼いだ。その下に
いる南條信聡は大願寺在勤者。つまり、信彰の言動は日如に筒抜けになる。

 宗務院は庶務部と海外部が中心と言ってよい。簡単に言えば、本山の動きを
掌握するのが内事部、国内末寺の動きを掌握するのが庶務部、海外末寺の動き
を掌握するのが海外部である。

 日如はその主要なポイントのうち、内事部と海外部、つまり本山と海外の末
寺を完全に支配化に置いたことになる。

●住職の大半は日達門下と法道院系

 それでも、八木が総監で庶務部長が信彰であるかぎり、日顕らは国内の末寺
の動きを握っているように見える。

 ところが、実態は違う。まず、住職の大半が日達門下である。彼らは、達師
の功績を次々に破壊した日顕を根深く恨んでいる。

 彼ら「妙観会」は大宣寺の菅野日龍や細井珪道を中心に、頻繁に連携を取り
合っているようだ。

 さらに、そのほかの多くの住職が法道院出身者である。彼らは「法器会」を
結成しているが、その結束力は「妙観会」よりも強いと言われている。

 日顕は一時期、この「妙観会」と「法器会」を牽制して、「徒党を組むな」
と言っていたが、結局、日達門下、早瀬閥に対抗するため、自分の弟子を集め
て「越洋会」を結成した。

●日如を指名したのが日顕の最大のミス

 日顕の「越洋会」の旗揚げは、時期法主を息子の信彰にするための策略でも
あった。自分の弟子を集めて、日如にプレッシャーをかけようとしたのだ。

 しかし、大きな問題がある。それは、日顕の弟子はまだ若く、住職になって
いるのは、ごくわずかということだ。

 先ほども述べた通り、住職のほとんどが日達門下と早瀬系である。宗門では、
各末寺が独立した法人であり、やはり、住職の権限は大きい。

 日顕の時代は、日顕が恐怖政治で住職たちを押さえ込んで来たが、今は違う。
住職の大半は日顕の時のように、〃従わないとクビ〃という脅迫観念で法主に
服従しているのではない。

 日達門下は反日顕ファミリーという感情を元に日如を支えているし、早瀬系
は「やっと早瀬家から法主が誕生した」という喜びで結束して日如を守ってい
る。

 また、多くの住職が、〃信彰が法主になれば、確実に宗門は潰れる〃という
危機感から、〃信彰以外なら誰でもいい〃という、やけっぱちな気持ちで日如
に従っているというのが実態だ。

●日顕の誤算=当代の法主に従うのが宗門

 宗門では、伝統的に法主の権威が絶大であり、当代の法主に従うのがいわゆ
る「血脈信仰」だ。いくら日顕が〃元法主だ! 隠尊だ!〃とわめいても、最
初のうちは日如も機嫌を伺っていたが、体制が固まれば、当然、豹変する。

 以前は、日顕・八木・信彰が決めた指示に日如はしたがっていたが、今は、
日如・佐藤慈暢というラインで物事が決まり始めている。

 また、いくら日顕の弟子といえども、彼らはまだ権限もなく、当然、当代の
法主に従うことを強いられる。

 日顕も登座直後は「十年で交代」と言っていたことがあるが、結局、腰を悪
くして本尊書写ができなくなるまで、必死に猊座にしがみついていた。

 そして同じように、日如も猊座にしがみつきはじめた。

 もう、すでに日顕の力が及ばなくなり始めており、次期法主が信彰になると
いう確証はない。すべては日如次第である。

 すべて、〃先師否定〃の日顕が受ける報いであることは間違いない。(編集
部)

[56]TITLE:新改革通信 89号  2008/7/5   
name:管理人


新改革通信 89号 平成二十年七月四発行   

池田名誉会長が「立正安国論」の御精神を実現。世界百九十二ヶ国へ流布。日顕の蛮行・正本堂破壊は八百万信徒の真心の破壊。民衆を愚弄するは、「立正安国」の「正義」に真っ向から背く第六天の魔の所為。


 明年、平成二十一年は、日蓮大聖人が『立正安国論』を幕府に上呈されて、かぞえで七百五十年目に当たる。
 宗門は〃『立正安国論』正義顕揚七五〇年〃と謳っているが、彼らの言う「正義」とは一体、何なのか? 
 プレ大会と称して、病人まで巻き込んで、無理やりに檀徒を集め、その陰で、自分たちは豪華なホテルに泊まって、檀徒の供養で高級料理に舌鼓をうつ。これが果たして、正義の姿なのか。
 大聖人が『立正安国論』に示されている正義とは、一切衆生を平等に幸福に導くための教えである。ゆえに、大聖人は『立正安国論』の御真筆において、国の漢字を書かれる場合に、「国構え」に「民」の字を多用されている。
 この字に、大聖人のどんな思いが込められているのであろうか。

● 民の目を開くために戦われた大聖人
 この「民」の起源は、「針で目をつぶされた奴隷」を意味しているという。「民」の最後の一画の斜めの線は、太古の象形文字で描かれた「ひとみを突く針」の名残であるというのだ。為政者が民衆を奴隷として使う時に、目をつぶして、自由を奪うという意味である。古来、権力者たちは、民の耳目を覆って真実を隠すことによって、民衆を支配してきたのである。
 その権力の道具と化していた民の「目」を開かれようとしたのが、大聖人である。大聖人は、民衆に正法を教え、平和社会を実現する主体者とするために、法難を覚悟で戦われたのである。

● 目覚めた民の力を恐れた権力者たち
 熱原の法難で、なぜ、平左衛門らは一介の農民達に対して、常軌を逸した拷問を加え、斬首まで行ったのか? 一体、彼らは何を恐れていたのか?
 それは、目をつぶした奴隷だと思っていた農民たちが、自らの意志で、権力者に立ち向かったからである。
 当時、有力御家人でさえ恐れていたといわれる平左衛門は、〃農民など少し脅せばすぐにおとなしく自分に従う〃と、高をくくっていたのであろう。ところが、熱原の農民たちは、蟇目の矢の拷問にも耐え、不退転の意志を貫いた。その姿を見て、平左衛門は、民の底力に恐れを感じると共に、〃農民の分際で〃と慢心から怒りを爆発させたのである。

●信徒の目を塞ごうとした日顕ら
 宗門事件の本質も同じである。日顕らは、衣の権威や血脈という言葉を〃民の目を潰す針〃として使って来た。真実の法は法主しか解らない。僧侶は特別であり、檀徒はその僧侶の生活を支えるのが役目であると、信徒に教え込むことに、彼らは腐心してきたのだ。
 ところが、池田名誉会長と正法に目覚めた学会員は、けっして僧侶の奴隷となることはなかった。
 それがわかった日顕は、〃池田名誉会長さえ、いなければ信徒を隷属させることができる〃と考え、「C作戦」という謀略を図った。そして、平成四年七月四日の今日、池田名誉会長の信徒除名を行った。まさに現代における「斬首」である。
 しかし、創価学会員は微動だにせず、かえって師の仇を打たんと極悪日顕に対して、立ち向かっていった。同時に、シアトル裁判での日顕の出廷が決まり、日顕は満天下にその醜い姿をさらした。
 日顕はかつてない屈辱に、復讐の念を燃やし、自分の力を創価学会員にみせつけるため、正本堂の破壊を行った。
 
●正本堂破壊は、民衆を愚弄した蛮行
 八百万人もの信徒が、血の滲むような思いで供養した、その真心を日顕は破壊したのである。民衆の純真なる信仰心を汲めぬ者が大聖人の弟子であろうはずがない。
 大聖人は「民」の字で立正安国の正義を示された。しかし、日顕は「民」を見下し、愚弄した。
仏智というものは、一般民衆がわかるはずがないんですから。したがって数から言うならば、ボンクラどもが千人、万人おるよりも、仏様一人のお考えのほうが正しいんです。(平成三年五月三十日 寺族同心会)
 すなわち、日顕にとって「民」は「ボンクラ」であるということだ。だからこそ、狂気と思える正本堂の破壊を行うことができたのだ。
 
● 政子のマンション疑惑でも檀徒の目を塞ごうとする日顕
 日顕は檀徒から絞り取るように供養を強要し、その陰で政子が二億円相当のマンションを所有していたことが発覚した。しかし、そのことは檀徒に一切知らされていない。今もって、檀徒は目を潰されたままなのである。
 法華経に説かれる僭聖増上慢の特徴である「人間を軽賤する」という行為は、民衆の目を潰して自立を阻む行為とも言えよう。〃信徒は余計なことを知る必要などない〃という、この日顕らの僧俗差別こそ、天魔の証である。
 
●立正安国論の実践は創価学会のみ
 一方、日顕が破門した創価学会は、池田名誉会長のもと、世界百九十二ヶ国の一閻浮提に広宣流布をし、その勢いはとどまることを知らない。各国で信頼を勝ち取り、その国の繁栄と一人一人の幸福のため尽力している。まさに「立正安国」の理想的な実践の姿ではないか。(編集部)

[55]TITLE:新改革通信 88号  2008/7/5   
name:管理人


新改革通信 88号 平成二十年六月三十日発行   

シンガポールのニセ寺院問題、第二弾。
日如の発言だけでなく、八木の発言も改ざんされていた!
すべての責任を信徒に負わせようとする日顕宗の非道!!


 前号で報じた通り、宗門はシンガポールの事務所を「寺院」と発表しているが、シンガポールでは、正式な寺院と認められていない。
 その証拠に、『大白法』(四月一日付け)に掲載されている日如の話には「寺院」という言葉が出てくるが、シンガポールの壇徒機関誌には「寺院=Temple」という言葉が訳されていない。
 
 順を追って見ていくと、まず、日如の「本宗における寺院とは、それぞれの地域における大法弘通の法城として、その意義と目的のもとに建立されるものでります」という言葉の
 
「本宗における寺院」は「Nichiren Shoshu facilities」となっている。
 
 これでは「日蓮正宗の施設」という意味になる。この「facility」は「設備、施設、機関」という意味でしかない。
 引き続き、日如は「寺院が建立されることは、それだけ、その国の正法弘通が進み、一歩一歩、確実に広宣流布に向かって前進している証でもあります」と述べているが、
 
ここの「寺院」も、やはり、「Nichiren Shoshu facilities」となっている。
 
 さらに、日如は、「今回、シンガポールにおいて、広布山開妙院が正式に山号・院号を公称し、板本尊をお迎えして、名実共に寺院としての活動を開始するに至ったことは、まさにその表れであります」とあるが、
 
 「「名実共に寺院としての活動を開始」が「the commencement of its function, both in name and in fact.」と英訳されており、「名実共にその(開妙院)の活動の開始」と、寺院(temple)という言葉が訳されていない。
 
●八木の発言も改ざん
 
 この時の八木の挨拶も『大白法』に掲載されているが、その八木の話も改ざんされている。
 八木は、「日蓮正宗開妙院として正式に日蓮正宗の寺院となり、総本山大石寺の末寺となりました」と述べているが、
 
 「正式に日蓮正宗の寺院となり、総本山大石寺の末寺」が「an official Nichiren Shoshu facilities belonging to Head Temple Taisekiji」となっており、これでは「本山の大石寺に所属する正式な施設」という意味になる。
 
 要するに、シンガポールでは正式に登記された寺院ではなく、あくまでも「事務所」なので、英語では「寺院=Temple」という言葉を使うことはできず、「施設=facilities」としてあるのだ。
 日本では「寺院が出来た」と宣伝して、シンガポールでは「施設」と言っているのだから、悪質なごまかしである。法主が二代続けて「詐称」で、寺院も「詐称」とは、何ともお粗末な話ではないか。
 
● 壇徒に「寺」と言わせて、責任逃れする悪坊主たち

 「宗門では、寺院にはTempleという言葉は使わない」などという子供だましは通用しない。現に、壇徒の機関誌では、法人の役員である某信壇徒が「Temple」という言葉を使っているのだ。
 この壇徒の「経過報告」の中に、以下のように、三回も「Temole」という単語が出てくるのだ。
 
 「the wooden Gohonzon Enshrinement Ceremony at the first temple in Singapore」
 「in the management decision in the building of this temple」
 「This temple is the fortress of the True Law」
 
 日如と八木の言葉には「temple」という言葉は使われていないのに、なぜ、壇徒の言葉にはそのまま「temple」という言葉が使われているのか。
 すなわち、シンガポールで正式に認められていない施設を「寺院」と呼べば、当局から咎められる可能性があるということだ。だから、当局の目から逃れるために、日如と八木の言葉は改ざんされている。
 そして、その代わりに壇徒に「temple」という言葉を言わせて、体裁を整えようとしている。日如らは壇徒の身に危険が及ぶのを承知で、利用しているのだ。何という非道なことをするのか。これが日如らの正体だ。
 
 この宗門の保身を図ろうとする体質は、戦前の「神札事件」から、まったく変わっていない。常に彼らは自分たちの保身に汲々として、信徒を犠牲にしてきた。
 今の宗門にとって、信徒は利用するものでしかない。だから、彼らは、プレ大会でも、信徒の身の安全を無視した無謀な輸送計画で、結集を図り、自分たちは豪華なホテルに泊まり、庶民の手に届かない高級料理を堪能している。
 まさに彼らの非道ぶりは、僣聖増上慢の「人間を軽賤する」行為であり、必ず、その報いを受けることであろう。(編集部)

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