新・改革通信 NO.110 (2011.10.15) 17年間、宗門が「ニセ本尊」と騒いでも何の影響もなし 宗門も末寺の本尊の脇書をこっそり削除 [日蓮正宗改革同盟]

腐敗堕落した宗門の脅しなど通用しない
 平成五年十月十二日から、創価学会は日寛上人御書写の本尊を会員に授与している。それから、すでに十七年の歳月が過ぎた。

 この十七年間、日顕らは、よほど悔しかったのか、”創価学会の御本尊はニセモノだ”と言い続けている。

 日顕らは”御本尊下附を停止すれば、創価学会は困り、必ず頭を下げてくる”と安易に考えていた。

 しかし、事態は日顕らが全く予期していなかった展開となった。

 日顕らは何とかして自分たちの権威を守るために、創価学会の御本尊授与に対して、「許可がない」「開眼していない」などと騒ぎたてた。

 しかし、腐敗堕落した宗門の脅しなど、まったく通用しなかった。

宗門が騒げば騒ぐほど、衣の権威の無力さが露呈する
 日顕らは僧侶が「ニセ本尊」と脅せば、信徒はひれ伏すと思っていたようだ。
しかし、創価学会は微塵もダメージを受けていない。

 それどころか、布教が爆発的に拡大し、組織は世界に大発展している。

 そもそも日顕が、自分の許可がなければ、創価学会員が成仏できないと考えていること、すなわち、自分が衆生の成仏・不成仏を決定できると思っていることが、増上慢の極みである。

 日蓮大聖人の仏法は久遠元初より未来永劫にわたる不変不滅の法である。その仏法を日顕ごときが恣意的に操れると考えているところに、すべてを支配しようとする第六天の魔の特徴が現れている。

 正しい信心があれば、そのような魔の本質を見抜いて、紛動されることはない。

 だから、広宣流布の団体である創価学会は、衣の権威などに屈することなく、堂々と世界広布の道を邁進している。そして、世界中の会員が功徳の花を満開に咲かせている。

 日顕が十七年間、騒いでも何の影響力もない。かえって衣の権威が無力であることが証明されただけだ。

宗門も脇書を削除
 日顕らは学会授与の御本尊に対し、「御本尊の脇書を取ったのは大謗法」と難癖をつけていたが、平成六年十一月、「天晴」という会社の社員三名が本山の総一坊、総二坊を訪れ、安置された板御本尊計四体の脇書部分の「願主 法華講総講頭 池田大作」という文字を跡形もなく消してしまった。

 また、日顕の息子・信彰が大修寺の住職を務めていた際に、全国の末寺に先駆けて、本堂の板御本尊から名誉会長の文字を削除していた。

 この一連の脇書削除によって、脇書が御本尊の本体でないことが立証された。

 つまり、脇書きを消しても御本尊の功徳には変わりがないことを宗門自らが証明したのだ。

創価学会が御本尊の偉大さを証明したことを認めていた日顕
 日顕は法主になった当初、本山の僧侶に次のように語っていた。

「学会の信心はきちと結果がでるんだ。宗門では七百年間そういうことがなかったんだ」

 日蓮正宗七百年間の歴史において、創価学会が初めて、御本尊の偉大さを証明したことを日顕自身が認めていたのである。

 唱題も折伏もしてこなかった僧侶たちが、御本尊の功徳を論ずることなどできるはずがない。(続く)

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