新・改革通信 NO.77 (2007.12.19) 日蓮正宗の「再生」の道を放棄した日顕の大罪! 創価学会出現以前の宗門は、「死に体」だった(一) [日蓮正宗改革同盟]

 今月、日顕は齢八十五になった。日顕のこの八十五年間の人生を後世の歴史家はどのように位置づけるであろうか。
日顕の人生は、宗門の歴史と照らし合わせることによって、その悪の所業が、一層明らかになる。
すなわち、腐敗しきっていた宗門を救ったのが、創価学会である。創価学会出現以前の宗門は、権力と金に塗(まみ)れていた。創価学会の存在がなければ、宗門が発展することなどなかったであろう。
ところが、日顕は、その大恩ある創価学会を破門した。そして、その結果、宗門は再生の道を絶たれ、再び、腐敗・堕落の世界に戻ってしまったのである。
今回は、創価学会出現以前の宗門が、如何なる状態であったか、その実態を述べる。


日顕が恐れた、『日霑上人伝』の再版
近代の宗門の歴史を紐解くと、宗門の僧侶たちが法主の地位をめぐって醜い争いに明け暮れていたことが分かる。
平成元年六月、五十二世日霑法主の百回忌を記念して、五十年前に出版されて絶版になっていた『日霑上人伝』が再版された。これは自筆の自伝に堀日亨法主が補筆したものである。
その際に日顕は「内容的に赤裸々な形の所もあり、一般の信徒の方に広くお分かちするには多少どうかと思われる」と評している。すなわち、その『日霑上人伝』には、一般の信徒に知られたくない内容があるという意味である。
その内容とは何か?
日霑法主自筆の自伝を初めて公開したのは、宗門機関誌『布教会報』であるが、明治二十四年五月に発行された第二十一号の連載の第五回目で、前号の内容が大幅に削除されることになった。
ところが、再版された『日霑上人伝』には、その削除された箇所が、そのまま掲載されていた。日顕が一般信徒に知られたくないという内容はこの削除された部分のことであった。


削除された宗門史の暗部
削除されたのは以下の文である。
爰に一山の大衆事情ありて大に沸騰し挙って盛師に迫る 予聞くにたへず窃に是れを扱へども其の彊ゆべからざるの事情を聞くを以て且く身を遠地に隠し其の平穏を待たんと欲し、其の廿一日徒弟慈含僕藤平を具し窃に山を発し出府す 是十度目。
時于衆徒此れに驚き盛師と和融に至りし旨を以て塔中惣代として久成坊、檀中惣代として井出与五右衛門(狩宿伝右衛門の父)出府し亦タ英盛両師よりも懇請の尊書あるを以て止を得ず其の五月初旬、久成坊等同伴にて帰山す 蓋し此の時に当って盛師は其の先非を覚り謝表を残して下之坊へ隠遁の由し之を聞く」
ここに書かれているのは、大石寺で起きた火災により、その責任を問われ、時の法主・五十三世日盛が、失踪した事件である。
「一山の大衆」とは僧侶たちのことであり、「事情」というのは、日盛法主が登座後に起きた、大石寺の火災である。この火事は慶応元年(一八六五年)二月二十八日夜半、大石寺大坊の下男部屋から出火し、客殿・六壺・大坊などが焼失した。
このことで僧侶たちが、五十三世の日盛法主を追及し、前法主・日霑は、僧侶たちが、日盛法主を追及するのを聞くに耐えず、密かに大石寺を下りた。
ところが、日霑法主が下山したことを知った僧侶たちは驚いて、にわかに、日盛法主と和解した。そして、塔中の代表と檀家の総代が、隠居の日英法主(第五十一世)と日盛法主の書簡を持参して、日霑法主に大石寺に戻るように懇願した。
それを受けて、日霑法主が帰山すると、今度は、日盛法主が失踪したというのである。


五十三世・日盛法主失踪にまつわる醜い争い
この話には続きがある。日霑法主は、行方不明になった日盛法主を捜すために二人の僧侶を各地へ派遣したが、結局、見つけることはできなかった。そのため隠居していた日英法主が再び登座した。しかし、高齢のため、わずか一カ月で辞意を表明し、日霑法主が再び登座することになった。この状況は、日盛法主側から見ると全く別なストーリーになる。『諸記録』に収められた手紙によると、大石寺を失踪した日霑法主は、六月には栃木の信行寺に居を構えていた。
日盛法主は、大石寺の火災後、本山の僧侶たちが自分を追及したことや、日霑法主がわざと大石寺を離れて帰山の懇願が起こるように仕掛けたこと、また、つなぎの法主として日英法主を一カ月だけ登座させたことなど、すべて日霑法主が再び登座して”大石寺を乗っ取る”ための陰謀であったと考えていたのである。
どちらの言い分が真実なのか。今になっては分からないが、いずれにしても、当時の宗門では、信仰とはかけ離れた、僧侶間の陰湿な争いがあったことは確かだ。

日霑法主が再度登座した半年後、大石寺はまた火災を起こし、今度は蓮葉庵を焼失した。
この時、日霑法主はこの火事を「何か仏意を穢し奉り候御誡」、すなわち仏罰か、それとも日盛法主の「我等へ御怨念之深々相懸候事も之あるか」、つまり日盛法主の怨念によるものだと述べている。
法主とあろう者が、怨念などという、オカルトじみた考えに取り憑かれているのであるから、呆れたものだ。(続く)

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