同盟通信 NO.105 (2004.7.20)

NO.105(2004.720) 

=この八月六日、日顕法主は全国から自分の弟子、譲り弟子の教師を集めて、「登座二十五周年祝賀会」を催す。全僧侶が招かれないのは異常といえる。当日は十時に着山、目通り、十一時に御開扉、正午から大講堂で祝賀の会食となる。原爆が投下された日に、祝賀しなければならないところに、日顕法主の破壊魔の業を感ぜずにはいられない。今また、日顕法主一党だけで酒盛りする宗門に、どのような破壊の放射能が、降り注ぐことになるのか。=

盗座二十五周年の「祝賀会」は、与同罪を覚悟した弟子数百人で行う。日顕法主の続投を喜ばない者を、大いに気にしての開催である。だからその連絡方法は、各布教区の中心者が、関係者に電話連絡するという、姑息なやり方で、旅費の支給まである。  降って涌いたような「祝賀会」だが、その開催の引き金になったのは、今回の宗会議長選挙にあった。なんと細井珪道が八票を得て当選し、妙観会のしかも達師直系に、議長を持っていかれてしまったことにあるという。

この結果に最も驚いたのが日顕法主であった。細井に決まった後、三日ほどは極めて機嫌が悪かった。怒りは尾を引いて、七月一日の丑寅勤行は小川只道にやらせた。なぜ祈りが叶わぬのかと、八つ当たりのサボリと決め込んだ、という噂も聞こえてくる。

“天は我に味方せず”との日顕法主の思いは、ファミリーを脅かす恐怖へとつながった。独裁者特有の心理だ。

正月の初登山で日顕法主は「徒党を組むな」と宣言したが、早々に自らが破って徒党を組むことを決断した。八月六日は「越洋会」の旗上げと見てよい。それは、バカ息子・信彰への相承路線である。広島に原爆が投下された日に、盗座就任し、今また徒党を組むという、日顕法主の背負った宿命と、異常なまでの執念が伝わってくる。

信彰に相承したいのなら、八木をワンポイントにして、継がせればよかろうが、それも心配なのだ。法道院日如がくたばるまで、生き続けるしかないのである。そのためにも安心が欲しい。信彰の下に集う勢力を見て、確かめておきたい、見せ付けておきたい、そういつた日顕法主の心情が、びんびんと伝わってくるではないか。

隆師と昇師とは異母兄弟である。口にするのもはばかる病気に犯された隆師ではあったが、それでもワンポイントを置くだけの心のゆとりはあった。日顕法主にはもうその心のゆとりがない。親子鷹ならぬ、「親子魔」を実現しない限り、自分の悪逆非道ぶりを正当化できない、除歴されかねないところにまで差し迫っている。

その一つの端的な表われが、今回の法華講夏期講習会で起った。六期の七月四日、日顕法主の何の感動も呼ばないヘボ講義が終った後、奈良の婦人が立ち上がって、日顕法主の前で宗門に対する不満をぶちまけた。日顕法主は、2・3分聞いていたが、後を秋元に押しつけ、不機鎌そうに足早に去っていった。発言を制止しようどする役員に対し、周囲も「聞いてやれ」と加勢する有様であった。講員が日顕法主に直接意見するのは、講習会始まって以来の出来事だ。それほどに、日顕法主・信彰が発信してきた指導教師の方針が、末寺で破綻していて、混迷を深めている証拠といえる。

八月六日は、親の妄情で、相承の私物化という、大謗法へ進む門出となるに違いない。盗座し、ドラ息子・信彰へ相承しようと企てる日顕法主に、宗内はいつまで指をくわえているのか。大聖人を恐れよ、興師の遺誠を恐れよ、与同罪を恐れよ。

(憂宗護法同盟員より)

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