新改革通信 第167号 令和4年11月28日 創価学会から離れ、信心の血脈を失った日蓮正宗(下)

新改革通信 第167号 令和4年11月28日

創価学会から離れ、信心の血脈を失った日蓮正宗(下)
信心の血脈を失っていた宗門を救ったのが三代会長

●信心の血脈を失っていたことを明らかにした「御書削除」問題

日顕らは“破門された創価学会に信心の血脈はない”と言うが、これは宗門の歴史を振り返れば、逆である。“創価学会を破門した宗門は信心の血脈を失った”ということになる。
 創価学会出現以前の宗門に信心の血脈がなかったことを明らかにしたのが、戦時中の御書削除である。当時、宗内で使われていた「祖文纂要」から宗門は「日蓮は一閻浮提第一の聖人なり」などの御文14箇所を削除している。
 昭和13年に文部省は、皇室や日本の神を軽視する教義の是正を日蓮宗に求め、昭和16年6月に日蓮宗諸派の合意で重要遺文70余編中より208個所の削除方針が決定された。この日蓮宗の動きに合わせて、同年8月20日、日恭法主と高僧たちは「上老会議」で「神札の受容」「大聖人御遺文の削除」「今後の御書の刊行禁止」「観念文の改変」等を決定した。

●日蓮宗と同じく大聖人を本仏と信じていないから、御書の御文を削除し、神札を受容した

 日蓮宗では本仏は釈尊で、大聖人は「本化上行菩薩の応現」となっている。大聖人は本仏ではないと定めているから、御遺文の削除が出来たのであろう。その日蓮宗に付和雷同して御書の御文を削除したということは、当時の日蓮正宗は日蓮宗と同じく、大聖人を御本仏として信じていなかったということになる。もし、大聖人を御本仏と信じるならば、御金言の削除などできるはずがない。宗祖を見習い、難を恐れず、軍部に抵抗したであろう。
ところが宗門は軍部の圧力に簡単に屈して「神札」を受容し、宗門に累が及ぶことを恐れて牧口会長と戸田理事長に「神札」を受けるように圧力をかけた。大聖人滅後、五老僧が幕府からの圧迫を逃れるために、“天台の弟子である”と名乗ったのと同じ心根である。

●信心の血脈を復活させたのが三代会長である

 すなわち、宗門はすでに信心の血脈を失っていたのだ。その失われていた信心の血脈を復活させたのが三代会長である。牧口先生と戸田先生は軍部の圧力に屈することなく、「神札」の受容を拒否して大聖人の仏法の正義を守った。そして池田先生は宗門を外護し、世界広宣流布を実現した。現宗門の寺院数の半数を超える、356ヶ寺が学会による寄進である。
宗門は創価学会と和合していたから、学会の信心に守られて発展することが出来たのだ。その学会を破門した時点で、宗門はまた、信心の血脈から離れてしまった。だからこそ、日顕宗内で、御書よりも法主の言葉が重要であるという「御書部分論」が横行したのだ。永遠に残る御書軽視の証である。御書を軽んじて、信心の血脈を失った「日顕宗」は衰退の一途をたどるだけである。(以上)

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