新・改革通信 NO.30 (2005.11.30)「破門通告書」「御本尊下付停止」から十四年目

「祖道」を破壊し、広宣流布を阻もうとした
日顕こそ「一凶」
歴史というのは不思議なもので、時間が経つと、物事の本質を浮き彫りにする。日顕は、今から十四年前の平成三年十一月二十八日に、「破門通告書」を創価学会に送り付けた。そして、その二日後、十一月三十日の教師指導会で、学会員に対する御本尊下付停止を発表した。 この席上で早瀬庶務部長は、「学会が破門されても、学会員は信徒資格がある」と姑息な説明をした。つまり、学会員に御本尊は渡さないが、葬儀や塔婆の申し込みは受け、供養はいただきますよということだ。彼らは葬儀に坊さんが来ないと学会員は困るに違いない、それが信徒の〃弱み〃だと考えていたのである。

彼らの魂胆は実に卑劣である。「破門」という言葉で僧侶の権威を見せつけ、「御本尊を下付しないぞ」と信徒を脅し、その裏で「葬儀」を利用して信徒をかすめ盗ろうとしたのだ。 大聖人は、何のために御本尊を顕されたのか?

「地涌千界の大菩薩を召して寿量品の肝心たる妙法蓮華経の五字を以て閻浮の衆生に授与せしめ給う」(御書全集 二五〇頁)
「日本国の一切衆生に法華経を信ぜしめて仏に成る血脈を継がしめん」(同 一三三七頁) 大聖人は一切衆生が直接、「仏に成る血脈」を受けることができるように御本尊を顕したのである。この大慈悲に対し、日顕は真っ向から反逆し、血脈を自分の独占物のように扱い、御本尊を信徒を脅す道具にしたのである。

宗門事件は〃人権と差別〃の問題である。彼らの発想は「人間には『僧侶』と『信徒』の二種類があり、自分たち僧侶が上で、信徒は下だ」というものだ。「本尊を下付してやる」「葬儀をしてやる」という彼らの態度にその差別観がはっきりと現われている。

日顕は登座して依頼、「祖道の恢復」とオウムのように言ってきたが、その「祖道」の意味するところ何か? 日顕は平成五年一月、西九州親教で次のように言っている。

「近年において創価学会が現われ、信者だけの組織による仏法流布が試みられました。(中略)ある時期に至ったならば当然、その本来の在り方である僧侶が指導する在り方に・・・」)

日顕のいう「祖道」とは、信徒の自立を認めずに、僧侶が信徒を支配する「檀家制度」のことだ。

日顕は「一切衆生に法華経を信ぜしめて仏に成る血脈を継がしめん」とした大聖人の「祖道」を破壊したのである。本尊流布を阻止した日顕こそ、広布破壊の「一凶」なのである。(編集部)

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