新・改革通信 NO.36 (2005.12.09)歴史は真実を語る(5)

歴史は真実を語る。日顕らは法主弾劾者の末裔(5)
宗会を無力化し、恐怖政治で宗門を私物化した日顕

以下、「誓約書」の続きである。

五、宗制ノ法規ニヨラズシテ住職教師ノ執務ヲ不可能ナラシム。

六、宗内ノ教師ヲ無視スル事。

七、自己ノ妻子ヲ大学頭ノ住職地タル蓮蔵坊ニ住 居セシムル事。

八、宗制寺法ノ改正ハ十数年ノ懸案ニシテ、闔宗ノ熱望ナルニモ不拘何等ノ提案ナキハ一宗統率ノ資格ナキモノト認ム。


(五)に関しては、日柱法主が宗制を無視していること、(八)に関しては、日柱法主が宗内改革の意識がないことが指摘されている。

日顕の場合はさらに性質が悪い。宗制宗規を自分の都合の良いように改悪し、宗会さえも無力化させた。今や、宗会は単なるお飾りである。

(六)の項目と同じように、日顕は宗内僧侶の意見など全く聞かない。それどころか、意見をする者がいれば、〃法主を誹謗した〃と宗規に則り、擯斥に処せられてしまう。日顕は恐怖政治を敷き、宗門を私物化してしまったのである。

(七)を読めば分かるように、当時の宗門では公私の区別に厳しかった。日柱法主が学頭を任命していなかったため、蓮蔵坊が空いており、そこに日柱法主の妻子が住んでいたのである。そのことを宗会が糾弾したのだ。

当時の宗会がもし、今の日顕の生活ぶりを見たら、仰天するだろう。日顕の妻・政子や娘・百合子が頻繁に大奥に出入りし、バーベキューパーティをしている。もっと驚くべきことに、満山供養の後などに日顕に差し出された供養袋を大奥の奥で開ける際に、政子たちが立ち会っている。日顕ファミリーは宗風を完全に破壊した。

話を戻すと、宗会は筋書き通り、二十日に日柱法主の不信任を決議して、辞職を勧告した。この問題は文部省をも巻き込みながら、宗内抗争に発展する。大石寺は二つに分かれ、泥沼の争いを始めた。

日柱法主擁護の信徒たちは、『正邪の鏡』という冊子を発行して、宗会の僧侶たちを糾弾し、反日柱派の僧侶たちは『正鏡』という冊子で応戦した。その『正鏡』にこうある。

「正邪の鏡には、聖訓を引て『少欲智足』有羞眞實正直等を以て僧侶の本分を説き、而して全宗門の僧侶を以て悪僧獅虫と評し、日柱上人を以て、少欲智足等の四義整足せる聖僧智識と推賞せられてあるが。同上人は全く全身汗を流すことであらう、何となれば私利、強慾、横暴、無愧、食言、無慈悲等は、同上人の特長であるからである」

実に辛辣な言葉で法主を攻撃している。たとえ法主でも誤りがあれば正す―当時の宗門の僧侶はそれが正義であると信じていたのだ。(続く)

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