新・改革通信 NO.43 (2005.12.30) 血脈は第六十六世で止まったまま

正式な手順を踏んで六十七世を選出しない限り、
日蓮正宗の血脈相承は永遠に 第六十六世で止まったまま
かつて日顕は正式な手順を踏んで法主に就任していなかった。”自己申告”はどこまでいっても自己申告であり、正式なものとはならない。もし、日達法主が亡くなった時に、重役会議等を開き、そこで日顕が法主に選ばれていれば、会議で選出された記録が残ったから、裁判になっても何の問 題もなかった。

もしくは、相承を受けたという証文や相承箱がその時点であれば、それは客観的な証拠となり、「正信会」との裁判や離脱した僧侶に対して、宗門が「寺院の明け渡し」を求めた裁判でも簡単に決着がついていただろう。客観的に日顕が日達法主から相承を受けたことを証明するものが何もないから、裁判所は判断できなかったのだ。

しかしもし、能化会議、重役会議を開いて六十七世を選んでいたとしたら、総監であった日顕が選ばれた可能性は何とも言えない。僧階の順序から早瀬日慈が選ばれた可能性は大だった。

日顕が恐れたのは、自分以外の者が法主に選出されることだった。もし、早瀬日慈が法主になれば、早瀬日慈が次の法主として日顕を選ぶ保証はない。そのまま法道院関係に相承が流れていく可能性がある。日顕はそれが怖かったのだ。

日顕の心に”どのような手段を講じても法主になりたい”という邪心があった。その邪心こそ、宗門を支配したいという「他化自在天」の「天魔」の命であった。その歪んだ欲望が「C作戦」を生み、広布破壊、正本堂破壊の天魔の悪行として正体を現したのである。

日顕は昨年四月に宗制宗規を変更して「管長推戴会議」なるものをこしらえた。相承がらみの裁判に対処するための苦肉の策である。そして今回、その管長推戴会議で早瀬が管長に選ばれた。しかし、問題の本質は変わらない。六十七世が正式に選出された証明がない限り、六十八世も成立しない。宗制宗規の変更さえも有効ではなくなる。

宗門が存続する方法は一つしかない。それは、六十六世日達法主が亡くなった昭和五十四年七月二十二日まで遡り、新しい「六十七世」を正式な手順を踏んで選出することだ。もちろん、そのためには、日顕と早瀬を除歴して、すべてを白紙に戻さなければならない。そして、それは「C作戦」で行われた処置をすべて撤回し、公式に謝罪することも含まれている。

それができなければ、日蓮正宗の血脈相承は永遠に六十六世で止まることになる。(編集部)

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