新・改革通信 NO.47 (2006.01.20) 妄想に取り憑かれた日顕に食いつぶされる宗門(4)

相承箱の秘密を知る者が日顕に見切りをつける時が必ず来る
昨年十二月十六日に行われた早瀬日如の「座替り式」の記録が『大日蓮』一月号に載っている。そこには「午後二時二分参列者、客殿入場完了」というように、分刻みに進行状況が書かれている。

しかし、『相承』の儀式そのものの記録は一切書かれていない。日淳法主から日達法主への『座替り』の時も同じように『大日蓮』(昭和三十四年十二月号)に報じられているが、そこには『相承』の儀式の記録が厳然と掲載されている。
以下冒頭の一部を引用する。



十一月十五日午後六時十二分 日淳上人の命により、御相承箱を守護して左記の六名大講堂横より出発。
八木理事補、寂日坊、理境坊、蓮東坊能勢(順)義寛房
先頭車(八木師御相承奉持、理境坊、蓮東坊能勢)
後車(寂日坊、義寛房)

十一時十二分、大田区池上町
猊下御留錫宅に当着
細井総監、高野重役、柿沼庶務、早瀬教学
十一時二十分、猊下(病床)お目通り
細井総監、塔中参上一々の名を言上する、猊下一々うなづき御苦労とのお言葉あり。
而して隠居の旨お仰せ出され、六十六世法主として精道房日達に相承致す旨、挙宗一致宗門興隆に努力せよとのお言葉を賜はる
充分の御奉公も出来得ず大聖人に申訳けなき事乍ら今夜略式ながら相承ある旨仰せらる。
後 相承之事。


どうであろうか。この記録にははっきりと「御相承箱を守護して」と書いてある。ところが、今回の早瀬への相承の記録に、相承箱についての記載はない。

憂宗護法同盟から『相承箱』が日顕の手元にないと暴露され、宗門は狂ったように反論して来た。相承箱は本山にあると、散々喚いたのだから、宗門にとっては今回がそのことを証明する、またとない機会であったはずだ。ところが、日顕らは問題の相承箱に一切触れていない。すなわち、相承箱について触れることができないから、『相承』の儀式の記録を載せないということになる。

一説には、日顕は大宣寺から相承箱を取り戻したとも言われている。しかし、下手に相承箱のことに触れると、後にそのことが問題となるとも考えられる。つまり、相承箱の秘密を知るものが「実は・・・」と真相を語る日が来ることを、日顕は恐れているのだ。しかし、相承箱の秘密が暴かれる時が必ず来る。その時こそ、日顕一族が宗門の歴史から抹殺される日の始まりである。(終わり)

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