新・改革通信 NO.50 (2006.03.31) 権力にしがみ付く日顕の「誇大妄想」(下)

権力にしがみ付く日顕の「誇大妄想」につきあわされ、
自滅していく、時代遅れの宗門(下)
信徒を見下した「権威主義」だけに頼っている宗門が衰退していくことは誰の目にも明らかだ。その行く末を暗示しているのが台湾などのアジアの宗門の実態である。

宗門はあたかもアジアで成功しているように機関誌などで報道しているが、その実態は最早、民衆の自立した幸福と広宣流布を目指した大聖人の仏法とはかけ離れたものになっている。アジアで宗門が行っているのは、中国系の人々の先祖崇拝を利用した塔婆供養の奨励である。

たとえば、台湾では信徒が亡くなると位牌を作り、その位牌を寺院に収めさせる。言わば、位牌を人質にするのだ。そして、寺院に参詣して塔婆供養することが信仰であると教えている。ほとんどの信徒は授戒だけで、あとは先祖供養のために毎月、寺院に参詣するだけである。だから、台湾の信徒は信徒数に対して、御本尊下付数が僅かである。広宣流布の活動などない。塔婆で荒稼ぎをするだけだ。このどこが、大聖人の仏法なのか。葬式仏教と変わりは無い。

シンガポールでも日顕宗は塔婆供養を強調しているが、英語教育が発達したシンガポールでは先祖崇拝の文化も徐々に薄れているため、宗門が思っているほど、塔婆供養は浸透していない。それどころか、「先祖崇拝を否定している大聖人の仏法に魅力を感じたのに、今の宗門は先祖崇拝に戻っている」と不満を持っている檀徒もいる。創価学会が進める宗教改革の流れは、時代の流れになりつつある。時代が進めば、民衆はもっと賢明になり、堕落した坊主の権威など通用しなくなる。

坊主の権威を守りたい日顕らにとって、自立した信徒など邪魔者でしかない。彼らに必要なのは、ただ、坊主の言うことだけを聞いて、供養する盲目的な信徒である。

日顕らはインドネシアでも、寺院を作って坊主を駐在させ、信徒を無力化しようとした。目的は信徒の供養を独占するためだ。しかし、インドネシアの檀徒の幹部は、未だに抵抗している。権力と金を手放そうとしない。多額の供養金を坊主と檀徒の幹部で取り合いをしている。

早瀬日如は、二月度の広布唱題会で「平成二十一年の『地涌倍増』と『大結集』を果たすことによって、まず私達自身が変わっていく。私達自身が変われば世間が変わり、それが大きな波動となって必ず世界広布へとつながっていく」と話したが、とんだ御笑い種である。自ら折伏することもなく、時代に逆行した檀家制度の維持に汲々とし、広宣流布とは全く対極に向かっているのだ。自滅は時間の問題である。(終わり)

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