新・改革通信 NO.71 (2007.06.19) 日顕宗は日顕の「コンプレックス」の産物(3)

宗門僧俗を「未生怨」の世界に引きずり込んだ日顕
日顕の人生は、幼少の頃から、恨みに染まっていたように見える。有名な話になってしまったが、日顕は生まれて五歳になるまで、父の阿部日開から認知されていなかった。
日顕が信夫として生まれたのは、大正十一年十二月十九日。認知されたのは、阿部日開が猊座に登った直後、昭和三年六月二十七日である。


「未生怨」であった日顕
日顕にとって、父・日開が自分を認知しなかったというのは、まるで自分の存在を否定しているように思えたであろう。と同時に、日顕は母親に対しても、なぜ、自分をそのような境遇で生んだのかと、恨みを抱いたであろう。その怨念は意識の奥深くに根付いたに違いない。
この日顕の複雑な生い立ちを見ていると、仏典に出てくる阿闍世王の物語を思い出す。阿闍世王は提婆達多にそそのかされて、父王を殺し、父を助けようとした母を幽閉して王位についた。
阿闍世王の父は、生まれてくる息子が父を殺すであろうという占い師の予言を聞き、息子が生まれるとすぐに、夫人と共に高所から突き落として殺害を謀ったという逸話もあり、阿闍世王が「未生怨」と名づけられたというエピソードは有名である。
この阿闍世王の物語は、非常に日顕の感情に通じているものがある。父親に望まれず、その父を恨み、そして、そんな父に対しても愛情を注ごうとする母に対しても恨みを持つ。
しかし、日顕の恨みは阿闍世王を超えているとも言える。なぜなら、日顕は阿闍世王の如く父を恨んだだけではなく、同時に提婆達多のように池田名誉会長に嫉妬しているのだから。


コンプレックスから暴力を振るう日顕
日顕は法主の子として生まれたが、認知されなかった。だから、日顕はエリート意識もあるが、同時に不遇であったという両極端な意識を持って育った。不安定な心理状態と言えよう。
日顕の暴力癖も、この不安定な精神状態から起こっていると言える。すなわち、自分は法主の子だから、周りの者は自分に従うべきだと日顕は思っている。父親に対するコンプレックスのせいで、異様にその欲求が大きい。ところが、現実はそうではない。そして、相手を説得する術を知らない日顕は、暴力で相手を従わせるという極端な方法に走るのだ。
この行為は、特に相手が身内の場合に、起こりやすい。だから、息子や弟子に対して、暴力を振るうのである。
また、相手が、法臘が上という権威を持っていた場合には、受け入れてもらいたいという欲求から、逆にペコペコする。これもやはり、父親に認めてもらえなかったというトラウマが原因となっているのだろう。
日顕が法主になる前、教学部長の時に、「米つきバッタ」と揶揄されたように、池田名誉会長の前に出ると、頭を下げていたということも同じ理由であろう。学会員から尊敬されている名誉会長に、認めてもらおうとしたのである。


建物の破壊という暴力
日顕が法主になった途端に態度が豹変したのは、法主と言う権威が、創価学会を含め、すべての僧俗に及ぶものと思ったからだ。だから、弟子に対する暴力と同じで、威圧的になったのだ。
日顕の”暴力で相手を従わせる”という行為は、法主になった後、本山の”建物を破壊して、自分の力を見せ付ける”という形に変わったが、本質的には同じものである。日顕にとって暴力行為と建物破壊は同根である。自分の存在を認めてもらいたいコンプレックスの証である。
日達法主の建立したものを破壊したのは、日達法主の弟子に自分の権威を見せるためであり、正本堂を破壊したのは、創価学会員に自分の力を見せ付けるためだ。
前号でも述べた通り、日達法主や池田名誉会長を超えたいという日顕の強烈な欲求が、建物の破壊という衝動を起こしているのだ。


阿闍世は王を殺し王位に就き、
日顕は嘘の相承で法主になった
阿闍世は王位に就きたいがために父を殺した。そして日顕は、法主なりたいがために、嘘の相承を申し立てた。どちらも権威を手に入れるために手段を選ばなかった。
また、阿闍世は父を守ろうとした母さえも幽閉したが、日顕は相承疑惑の声をあげた同門の僧侶である正信会を切った。どちらも、身内であろうと自分に歯向かう者は許さないということだ。
父に認められなかった阿闍世と日顕は、「未生怨」といわれるように、生まれと共に怨をかかえたが故に、父とおなじ権威に異常に執着した。
それでも阿闍世王は、釈尊に帰依して過去の罪を懺悔して救われた。しかし、日顕は自分の罪を決して認めようとせず、さらに悪行を重ねて来た。その結果、日顕は宗門全体を自分の怨念の世界に引きずり込んでしまったのだ。

宗内僧侶がこの日顕の怨念の世界から抜け出す方法は、阿闍世王のように、真実の信仰の道に入るしかない。僧侶という権威を脱ぎ捨てて、大聖人の弟子という信心に立って、自らの罪を詫びるということだ。その時にはじめて、彼らは阿闍世王と同じように、この信心の喜びを知ることができるであろう。(続く)

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