新・改革通信 NO.87 (2008.05.23) シンガポールの壇徒機関誌が、日如の発言を改ざん!

「寺」という言葉をこっそり削除。ニセ寺が証明された
 本年三月十五日、日顕宗第二祖・早瀬日如がシンガポールの事務所の板本尊入仏式を行った。その時の日如の言葉が四月一日付けの「大白法」に掲載されている。

 そこには「今回、シンガポールにおいて、広布山開妙院が正式に山号・院号を公称し、板本尊をお迎えして、名実共に寺院としての活動を開始するに至ったことは、まさにその表れであります」とある。

 しかし、シンガポールの事務所は、法律的には「開妙院」という名の「事務所」であって、寺院ではない。だから、建物には「日蓮正宗仏教会」という大きな看板が掲げてある。もし、その事務所を「寺院」だと公言すれば、それは違法であり、日如の発言は問題になる。

 それでは、シンガポールの壇徒機関誌は、この日如発言をどのように英語に訳しているか、見てみると。

 Indeed, this is demonstrated on this occasion, here in Singapore,through the formal opening of Kofu‐zan Kaimyo‐in and through theenshrinement of the wooden Gohonzon, thus marking the commencement ofits function, both in name and in fact.

 「名実共に寺院としての活動を開始」が、「名実共にその(開妙院の)活動の開始」と、意図的に寺(temple)という言葉が削除されている。

 これなら、”「開妙院」という名の事務所の活動であり、寺院とは言っていない”という言い訳になるわけだ。

 すなわち、「開妙院」が寺院でないことを、機関誌が今回、証明したことになる。

住職の滝川の不自然な発言
 不自然なのは、この日の滝川の発言である。彼は住職であるから、寺院建立であるなら、そのことを大々的に宣伝しなければならない。ところが、滝川は「寺院建立」には、一言も触れていない。

 例えば、滝川は「積年の念願でありました板御本尊様がここ開妙院に御安置せられました」とか、「私たちは今日に至るまで、いろいろなビルの中に事務所ないし布教所を開き、各地を転々としてきました。波乱の道程でありましたが、本日、ついに、板御本尊様と御法主上人猊下を、私たちの眼前に拝する日を迎えることができました」と、板本尊のことを中心に述べている。

 もし、開妙院が本当に寺院であれば、「積年の念願である寺院建立」と言うのが普通であろう。すなわち、滝川は「開妙院は寺院とは公言できない」と自覚して、巧妙に言葉を選んでいるのだ。

壇徒が法人の代表である間は、日如は来ない
 そもそも、「開妙院」という名を使うのなら、事務所がオープンした時点でも、できたはずである。それを、なぜ、今さら、「院号公称」などと言い始めたのか。そこには、宗門の僧俗差別・信徒不信の事情がある。

 今、滝川が所属している「日蓮正宗仏教会」の代表は、昨年まで、某信徒であった。シンガポールでは、永住権を取得しない限り、法人の代表にはなれない。

 以前、宗門は日顕の名でシンガポール政府に”滝川を法人代表にして欲しい”という旨の手紙を何度も送ったと囁かれている。それが事実であっても、当局からすれば、法主の権威など意味がない。とんだお笑い草である。

 僧俗差別の日顕宗から見ると、壇徒が法人の代表というのは許されないことだ。しかも、シンガポールでは一度、壇徒に法人を乗っ取られている。なおさら、彼らは壇徒を信用していない。

 そして、やっと昨年、滝川が永住権を取得して、法人の代表となった。これで安心して、日如が行けるという話になっただけのことである。

一度、法人を壇徒に乗っ取られた滝川の失敗
 六年前の三月、年次総会を前にして、法人の運営役員の人事で問題が起こった。運営役員は壇徒九名、宗門僧侶三名の計十二名の構成。ところが壇徒の有力幹部が五名の壇徒を追加しようとした。上限は十二名なので、選挙で選ぶことになる。

 そこで、滝川が某幹部に会って、五名の新役員の立候補を止めさせるように言ったが、某幹部は「すでに決定したことだ」と言い、彼が見せた書類には、すでに僧侶の名前は無かった。この流れの背景には、会計問題もあったようだ。

 そこで、怒った滝川が勝手に壇徒の会館にある三体の御本尊を取り去って、日本に逃げ、警察沙汰の問題に発展した。

 当時の法人「正法日蓮正宗」の口座は凍結され、警察により、関係者の事情徴収も行われたようである。

 そして、滝川は「正法日蓮正宗」から離脱し、「日蓮仏教会」に移籍。同時に、就労ビザを「日蓮仏教会」を雇用主にして、取り直した。

 この内紛で、数十名の壇徒が分裂・脱講しているが、壇徒内における僧俗の相互不信は根深い問題である。滝川は、その後、自分の言うことを聞く壇徒だけを登用している。

 ある脱講者は滝川について、「馴れ馴れしくすると顔色が変わる。冷酷で偽善的」と評している。また、普段のTシャツに短パン姿も不評である。

 宗門は、”僧による俗の支配”を、僧俗和合などと偽っているが、不信の世界には、必ず、争いが起こる。御書に「どしうち(同士打)はじまりぬ」(一四一三頁)とある通りである。(編集部)

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