新・改革通信 NO.95号 (2009.01.23)”実質的に破綻している総登山”は宗門を疲弊させるだけ

 宗門が疲弊すればするほど、「C作戦」を実行した 日顕への責任追及が激しくなり、「除歴」は、もはや必至である。

 平成二十一年が明けたが、宗門住職・檀徒にとって暗い新年となった。宗門の檀徒は、世界的な不況で生活が脅かされている上に、宗門から、度重なる供養、複数回の無理な登山を迫られている。その経済的負担に皆悲鳴をあけている。

 同時に、末寺の住職も登山のノルマを課せられて精神的に追い込まれている。その上、本山への供養が増えれば増えるほど、末寺への供養は減るから、今までにまして、生活は圧迫される。

実質的に破綻している総登山

 「五十万総登山」は、一人の檀徒が複数回行かなければ、達成できない。これは、実質的に破綻している計画だ。中には毎回、通算五回以上の支部登山に参加する者もいる。 同じ檀徒に何回も、登山をさせて、一体、何の意味があるのか。それで登山者数を上乗せしても、実体のない数が累計されていくだけだ。

 そこに信仰的な意義があるとは思えない。かえって檀徒から信仰の歓喜を奪うだけである。
なぜなら、無謀な登山計画は事故を招く可能性が高い。また、無理な行程により、健康を害す者も出るだろう。何よりも、複数回の登山は、檀徒に経済的に大きな負担を与える。

 一月三日と四日に初登山が行われたが、例年に比べ登山者数は激減しているし、登山者が一時、行方不明になるという事故も起こっている。

 このように、檀徒は消耗品のように扱われ、全国のあちらこちらから、無理な登山に対する批判・不満が出はじめている。

 それは住職たちも同じで、無理なノルマと、登山者数の数合わせで、嫌気を感じ始めている。

 執行部はただ、号令さえかけていればいいが、どこの末寺も爆発寸前の檀徒の不満を抑えるために必死である。

温泉を目玉に人集めする讃岐・本門寺

 末寺の住職の中には「数さえそろえばいいのだろう」と開き直っている者もいる。たとえば、讃岐の本門寺の横田智研だ。 本門寺の当初の登山目標は八百人だったが、宗務院より増員を迫られて、目標を千百人にした。では、どうやってその人数を確保するか。横田の考えは単純だ。観光で人を誘うというものだ。本門寺は五回の支部登山を計画しているが、その内容は、登山が主ではなく、観光が主である。その行程を見てみると。

・夜、寺を出発し、檀徒はバス内で宿泊。
・午前七時に本山に到着。
・昼過ぎに本山を出て、温泉旅館で一泊。
・翌日、観光を終えてから帰着。

 本山にいるのは数時間で、あとは観光である。しかも、五回の支部登山は、毎回、その観光名所が変わる。
檀徒に配布された登山勧誘の書類には、「お宮の松」「桜祭り」「梅祭り」「露天風呂とかけ流し温泉」「天女伝説の三保の松原」などと観光名所が紹介されている。

 同じ檀徒が複数回、申し込みするように、わざわざ、観光場所を変えるという巧妙な手口だ。

 おそらく、本山はこの事実を知っても、黙殺するであろう。彼らにとっての優先事項は、登山者の数だからだ。

 このような方法でしか、登山者を増やすことが出来ないという事実が、総登山の破綻ぶりと、宗門の疲弊ぶりを象徴している。

自滅の道を突き進む宗門

 今、宗門は最悪の事態を迎えている。日顕は池田名誉会長に対する嫉妬から、「C作戦」という謀略で創価学会を破門した。その結果、宗門の檀徒数は数万人となり、今や、三分の一以上の末寺が自活できない「援助寺院」と化している。 その上、日顕が見栄で作った「法教院」を存続させるために、毎年、得度者を取り続けているため、無任所教師が増え、今後、数年で宗門の教師の半数近くが無任所教師という、かつてない危機的状況を迎える。

 それに加えて、、教師が増えるのに対して、脱講で檀家が減るという、宗教団体としては致命的な自滅の道を進み始めている。

 さらに、海外登山にしても、世界的な不況の中、強引な登山啓蒙と供養の強要、そして、世界の非常識、僧侶が上で檀徒が下という差別と権威主義。おまけに内容のない登山会では益々、海外檀徒の心が離れていくことは間違いない。

日顕が除歴される可能性は、高まる一方

 この無茶な登山の悪影響は、今年だけではなく、来年以降にも顕著に現れるに違いない。 檀徒の寺離れは進み、宗門は勢いを失う。高齢化している法華講は一気に縮小するであろう。

 この宗門の衰退を招いたのは、日顕である。

 次期注主か、その次の法主か、いつか必ず、「日顕こそ、宗門衰退の元凶」と、指摘する法主が出てくるのは火を見るより明らかである。
そしてその時に、日顕は、

・創価学会を「C作戦」で破門した極悪人、
・広布の進展を阻んだ破和合僧
・本門の戒壇たる大殿堂を破壊した大謗法者

というレッテルを貼られて、

・第六十七世日顕は、法主として相応しくないので、
・その名を歴代法主から削除する

と宣言されるのだ。(編集部)

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