新・改革通信 101号 (2009.05.27) “死ぬに死ねない”日顕の事情(四)

日如の真の狙いは“法道院の奪還”。生き残りをかけた派閥の争い が静かに始まっている。 大村と尾林が亡くなり、宝浄寺と妙光寺に誰が入り、どのように人事が動くのか、様々な憶測が宗内に飛び交った。

誰かが死ぬということは、住職のポストが空くという意味であるから、いつも本山の無任所教師たちがソワソワする。

しかし、今回は、東京の一等地にあり、元役僧の寺のポストが空くということで、中堅の住職たちが色めき立った。

宗門では、東京の寺院に入ることが、住職としての出世コースである。日本の中心であり、何よりも金がある寺院が多いからだ。現に、宝浄寺も妙光寺も億単位の預金があるといわれている。

また、今回の人事の結果で、日顕と日如の力関係がわかるという意味でも注目を浴びた。そしてフタを開けて分かったことは、明らかに日如の色が濃い人事であるということだ。これは同時に日顕の影響力が弱くなっていることを意味する。

日如が今回の人事で、真っ先に考えたのが長男の早瀬道寧のことであろう。道寧が入る応顕寺の一番のメリットは収入が安定していることである。応顕寺の檀徒はそのほとんどが法道院の神奈川方面の檀徒を譲ったものである。だから、新潟と違って収入が安定している。

日如からすると、たとえ出来は悪くても、唯一の跡取りであるから、日顕にならって東京近郊で、なおかつ経済的に楽な寺に入れたかったに違いない。すでに娘(國島道保の女房)は府中にいるから、これで家族は安泰である。

おそらく舟橋義秀は七十近いから、今さら動きたいとは思っていなかったかもしれない。裕福な宝浄寺だから、と言って説得したに違いない。また、宝浄寺を法器会以外の者に渡したくないという思惑もあったであろう。

日如は早瀬家の長男として、法器会存続の責任がある。土居崎は高齢だから長くはない。その後に法道院系を入れるかもしれない。宗門が駄目になっても、法器会だけは生き残れる体制を作るのが日如の野望である。

しかし、日如の真の狙いは、「法道院」の奪還である。八木の後にどうやって法器会の者を入れるか、日如は思惑をめぐらしているであろう。このままでは、法器会に宗門を牛耳られる。信彰の出番がなくなる。――日顕が一番恐れていることだ。だから、日顕は死ぬに死ねない。(編集部)

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