新・改革通信 105号 (2009.11.27) 一凶・日顕の末路(一) 宗内からの「法教院」批判、信彰の更迭、連続する火災。次々に起こる異変が暗示する日顕の末路

平成二年七月の「御前会議」から始まった謀略「C作戦」実行、二十年目を前にして、宗門では様々な異変が続いている。

それは一見、突発的な事件、点にしか見えないが、どれも一つの線でつながっている。

その”線”とは、”日顕の権威の失墜”である。

たとえば、宗会議員が「法教院」を無用の長物であると批判したが、このような事件は、日顕が法主の時代には起こり得なかったことである。

また、信彰が庶務部長を実質的にクビになり、何の権力もない「布教部長」に左遷させられるということなども、日顕が法主でないから、出来たことだ。これによって、信彰の次期法主の可能性は限りなくゼロに近づいた。

すなわち、日顕が法主をやめ、早瀬体制が出来上がりつつあることによって、宗内にくすぶっていた”恐怖政治の悪法主・日顕”への批判が、ゆっくりだが、表面化しているのだ。

日顕自身も、そのことを肌で感じているから、本山に滞在する時間を延ばして、存在感を示そうとしている。

また、三度続いた火災は、日顕の末路を暗示する瑞相である。宗門では昔から”火事は福運を失くす、諸天が去る”と言われている。

①八月二十八日午後一時すぎ、宗務院近くの裏門南側の駐車場で車両十台が炎 上。②十月十一日正午(日本時間十月十二日午前二時ごろ)、アメリカ・ワシント ンの妙宣寺で「御会式」の最中に火災が発生。③十一月十五日午後二時頃、総本山大石寺の総坊売店で火災が発生。

仏法では偶然はないと説く。すべては因果の現れである。本山の繁栄、世界への布教、どれも創価学会の存在があったからこそ、成し得たものである。それを否定した日顕の忘恩に対する厳しい罰の現証と見ることができるであろう。

平成三年十一月二十八日、日顕らは「破門通告書」を学会に送付した。大聖人の御遺命である世界広布を妨げた「一凶」である日顕を、すでに諸天が見放していること、すなわち日顕の命運がつきたことを暗示しているのだ。(編集部)

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