新・改革通信 106号 (2009.12.18) 一凶・日顕の末路(二)  日顕は自分の名前を歴史に残すために「法教院」を作ったが、諸悪の根源・「法教院」は日顕の死後、必ず封鎖される!

 八十七歳になる日顕が今一番、執着しているものは何か? それは「法教院」の存続である。

 なぜか? 法主と言うだけでは、代が変われば以前の法主は忘れ去られていくが、「法教院」が存続すれば、創立した日顕の名前が歴史に残るからである。

 しかし、その日顕の野望とは裏腹に、「法教院」の評判はすこぶる悪い。その理由は以下の通りだ。

①「法教院」は単なる私塾であり、文科省に認められていないので、卒業しても学歴にならず、卒業者は社会的には「高卒」となる。

②以前は偏差値の高い高校を目指していた小僧がいたが、「法教院」にしか行けない今では、どの高校に行っても同じであり、勉学の意欲がなくなり、 必然的に学力が低下している。

③一般教養以外の教員は宗門僧侶に限られており、おざなりな授業になっている。そのような中で、広く世間に通用する人材は生まれない。

④大坊の延長であり、閉鎖的な環境であるため、社会性のない人間となる。

⑤無任所が増えているのに、「法教院」を存続させるために得度者を採らなければならない。

⑥「法教院」を維持するために膨大な費用がかかっており、宗門財政を圧迫している。

 他にも色々と指摘される問題点があるだろうが、このままいくと、宗内僧侶全員が「高卒」という現代日本の宗教界でも極めて例のない教団が誕生する。

 日顕は「法教院」を批判されると、常に過剰に反応する。宗会議員の有志が「法教院」に対して意見をしたが、日顕はすぐに『吾が弟子一同に告ぐ』という文書で反論した。

日顕が恐れていることは「法教院」が消滅することにより、創立した日顕の無能力さが歴史に残ることである。

 しかし、宗内の中で一体、何人が「法教院は必要である」と思っているであろうか。皆無である。日顕の死後、その日顕の分身ともいえる「法教院」も、姿を消すことは宗内の大方の見通しである。(編集部)

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