新・改革通信 NO.121 (2011.11.09)[塔婆編]中興入道は自分で供養塔を建て、題目を書いたが、大聖人は僧侶抜きの供養を讃えられている

「中興入道消息」からわかること
 宗門は「中興入道消息」に塔婆が出てくるから、塔婆供養は必ず必要だと、道理の通らないことを主張している。

 しかし、普通にこの御書を読むと以下のことが明らかになる。

① 丈六の卒堵波で、約5メートルの供養塔であり、今の塔婆とは違うもの。

② 他の信徒は建てていないので、建てなくても構わない。

③ 題目は自分で書いているので、信徒が題目を書いても構わないことになる。

④ 自分で供養しているので、僧侶抜きで供養しても構わないことになる。

 もし、宗門が「中興入道消息」を引用して、塔婆を論じるならば、信徒が題目を書くこと、僧侶抜きで供養することを認めざるを得ないであろう。

「塔婆の功徳」ではなく「題目の功徳」を説かれている
 この御書を正しく拝せば、「丈六のそとば(卒堵波)をたてて其の面(おもて)に南無妙法蓮華経の七字を顕して・をはしませば」と、大聖人は「塔婆の功徳」ではなく「題目の功徳」を説いていることがわかる。

 当時、真言や念仏の聖(ひじり)によって、塔婆による死者供養の風習が普及していた。そこには当然、真言の五輪の梵字や阿弥陀の名号が書かれていた。

 しかし、中興入道が念仏の題目ではなく法華経の題目を顕されたことを大聖人はほめられ、題目の功徳を説かれたのだ。だから、この御書の末尾に「此より後々の御そとばにも法華経の題目を顕し給へ」と仰せられているが、自分で書いても良いということになる。

御書の塔婆の意味は多様
 以下、御書に出てくる塔婆の意味を挙げてみる。

① インドで仏塔を破壊した話(「顕謗法抄」)、
② 権教を破折するために、大地微塵の仏塔を建てても法華経誹謗の罪は消えない(「善無畏抄」)、
③ 率塔婆を建てた過去の故事(「上野殿御返事」)
④ 宝塔の意味(「御義口伝」)
⑤ 草木成仏を説く(「草木成仏口決」)
⑥ 題目で供養することが大事(「中興入道消息」)

「草木成仏口決」では、一念三千・草木成仏の原理を説かれるなかで、非情の成仏の譬えとして当時他宗によって普及していた塔婆供養を取り上げられえている。

 これは、「観心本尊抄」で他宗の本尊の事例を挙げて、それらも一念三千・草木成仏の原理がなければ成り立たないとされているのと同じである。

 「観心本尊抄」の他宗の本尊も、「草木成仏口決」の塔婆供養も原理を示されており、一念三千の当体である御本尊の意義を明かされることに大聖人の御本意がある。

 結局、大聖人が信徒に「塔婆を立てなさい」とは記された御書はない。事実、四条金吾や富木常忍、池上兄弟、南条時光にも勧められていない。大聖人御自身、亡き師・道善房のために塔婆供養をされた記録もない。「塔婆は故人の追善供養のために不可欠」ならば大聖人の主要門下の肉親は成仏しなかったことになる。

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