新・改革通信 NO.125 (2011.11.17)[葬儀編(2)]故人が知らない死後戒名は成仏と無関係 馴染みのない戒名は遺族も覚えられない
大聖人の時代、当時の戒名は仏門に入った証として与えられる名前であり、戒律を守るしるしでもあった。多くの場合、出家者に対して授戒の師僧によって与えられる。
戒名を死後の別名のように誤解している場合が多いが、本来は、戒名をもらうと同時に俗名を捨てなければならない。
日蓮正宗でも、出家の際に道号として名前をもらい、住職になった際に、家庭裁判所に届けて、正式に改名をするのが通例である。
僧侶の場合は自分の道号がそのまま戒名に使われる。
また、仏式の葬儀が増えた室町時代に、高貴な在家信徒からはじまったとも言われており、江戸時代の檀家制度により義務化された。
江戸時代に檀家制度を定着させるために寺院側が偽造して利用したとされているのが「御条目宗門檀那請負之掟」という文書である。
その第十条には「一、死後死骸に頭剃刀を与え戒名を授ける事」とある。
このようにして、戒名は信仰とは関係なく、制度化されたのである。成仏と関係ないことは誰の目にも明らかだ。
① 故人が自分の戒名を知らない。
② 馴染みがないので遺族が覚えられない。
③ 戒名料を請求され、金額によって差別される
大きな問題は、故人が自分の戒名を知らないということだ。だから、たとえ戒名をつけた場合でも、回向は生前の名前で行うべきである。
「名は体を顕わす」というが、故人の名前に人生が収まっており、その名前で信心に励んできたのだから、その名前で回向するのが本義である。
また、戒名をつけても、馴染みのない名前だから、遺族が覚えられない場合が多い。
社会的な問題として挙げられるのは、戒名を付ける際に寺院側が高額な戒名料を要求したり、その額によって戒名に差をつける事例があることだ。いまだに世間の批判の的となっている。
かつて一般的には、生前に戒名が授けられ、その者の布施により寺や院が建てられ、その貢献を讃えるために、故人の戒名を採って寺の名が付けられるという順序であった。しかし、それが今や逆になり、布施が多いものに院号などをつけるというビジネスになっている。
宗門でも、高額な「戒名料」を請求する住職はいるが、今の宗門ではそういうことをやめさせる自浄能力はない。
彼らが戒名に固執すればするほど、日蓮大聖人の仏法から遠のくのだ。
(終わり)