新・改革通信 NO.132 (2012.03.21)創価学会出現以前の宗門の「秘史」(五) 「学会ができてから、謗法厳戒になった」と話していた日如

日顕だけではく、日如も創価学会の信心により、
「謗法厳戒」になったと認めていた
 前号で、日顕が青年得度七期生との目通りで
「お前たちも知っていると思うが、本山の周りは謗法だらけだ。しかし、学会のおかげで、だいぶましになった」
と話していたことを紹介したが、実は、日如も同じようなことを話していた。
 昭和六十三年、宗務院で行われていた御書系年委員会での話だ。日如が永栄義親に次のように言って笑っていた。
「謗法厳戒なんて言ったって、昔は関係なかった。
子供のころはみんなで浅間祭りにいっていたよな、リキちゃん(永栄のこと)。
創価学会ができてから、謗法厳戒になったんだ」

 すなわち、創価学会が出現する以前の宗門では、「謗法厳戒」という宗風はなかったということである。

正しい信心を教えてもらっていなかった旧信徒たち
 旧信徒の信心の実態とみると、宗門が信徒に正しい信心を教えていなかったことがわかる。
例えば、改革同盟の小倉住職は次のように証言している。
「香川の立正寺に在勤していた時のことです。旧信徒が、仏壇を新しくしたから来てほしいというのでうかがったら、なんと身延の本尊がかけてあった。
“前の御本尊はどうしましたか”と聞くと『真っ黒なので仏壇屋でお焚きあげしてもらう』と言うのです。
見ると五十一世日英上人の御本尊でした。びっくりして、御本尊の大切さを話し、やっと表装してもらうことになりました。」
他にも、ある信徒の家を訪問すると、その家の仏壇には、立正佼成会の本尊が掛かっていた。理由を聞くと、
「宗門の御本尊は、金を出せばくれるが、佼成会の本尊は十人以上の人を紹介しないと貰えない。だからこっちのが大切なんだ」
と言っていたという。

また、小倉住職は、仙台の仏眼寺にも在勤し、旧信徒の実態を見て驚いたという。
・御本尊の後ろに金紙を張るとお金持ちになれると信じていた信徒。
・御本尊に向かって「般若心経」を唱えていた信徒。
・御本尊を床の間に掛け軸のようにかけていた信徒。
・身延、池上、大石寺の3つの本尊を安置していた信徒。
旧信徒たちのこのような実態は、一体、誰の責任であろうか? すべて、僧侶の責任で有ることは明らかである。

日寛上人の御本尊を粗末に扱っていたのは宗門
仏眼寺に行くと、誰もが驚くことがある。それは、日寛上人の御本尊が石に彫られて、各所に置いてあることだ。
一見、墓石のような石に、御本尊が彫られていて、雨風にさらされている。
また、仏眼寺の近くにある鬼子母神堂には日寛上人の御本尊が安置されていたという。

 このように、宗門では日寛上人の御本尊を粗末に扱っていたのだ。
“御本尊様を命懸けで守る”という信心を実践し、信徒に教えたのは、創価学会の歴代会長だけなのである。(続く)

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