新・改革通信 NO.133 (2012.10.10) 「正本堂」建立から四十年。そして狂気の破壊から十四年

日顕の暴挙は日蓮正宗そのものを破壊し、衰亡を招いた!
永遠に残る正本堂の破壊
明後十月十二日は、正本堂の落慶から四十周年にあたる。今、あらためて、宗教史上に残る偉大な殿堂が、多くの民衆の真心の結晶であったことに感銘する。
昭和四十七年十月十二日に完成し、歴史的な落慶大法要に集う人々の歓喜の姿。生活を切り詰めて供養した方々が「私たちの世界一の殿堂だ」という誇りを抱いている姿は、誰もが忘れることはできない。
しかし、この正本堂を破壊した日顕の愚行もまた、永遠に忘れることはできない。いな、永遠に糾弾しなければならない。富士のすそ野から飛び立たんとする白鶴の如き、優雅な姿の正本堂が解体されていく様は、天魔の所業以外何ものでもなかった。世界八百万人信徒の浄財で建築された大殿堂を破壊するとは狂気の沙汰としかいいようがない。
 正本堂建設委員会の記録を見ると、委員長は池田会長、副委員長は当時、総監であった早瀬日慈、すなわち日如の父親であった。
日如は日顕に与同し、父親の業績までをも破壊したのだ。


創価学会を破門する以前に正本堂破壊を企んでいた日顕
千年持つといわれた正本堂は、平成十年六月、わずか二十六年で日顕の指示により解体されたが、日顕はすでに平成二年の暮れに正本堂破壊のシナリオを考えていた。
平成二年十二月二十五日の午後、日顕は約一時間半にわたり、高橋公純、段勲、押木二郎ら反学会勢力の五名と密談し、その席上で日顕が「一月十五日までに決着をつけて、二月には戒壇の大御本尊を正本堂から奉安殿に移したい」と本音を吐いている。その後に、正本堂を破壊するつもりであったことは明白だ。


いまだに正本堂破壊に対する疑問を抱く壇徒たち
この「正本堂破壊」により、世界中で多くの壇徒が脱講した。「C作戦」の実態を知らない者であっても、「正本堂破壊」により、いかに日顕が狂っているか、気づいたからである。
もちろん、日本でも多くの法華講員が脱講したが、まだ脱講してない法華講員の心の奥にも、正本堂破壊に対するわだかまりがある。
宗門は様々な理由をつけて正本堂破壊を正当化しようとしているが、血の滲むような思いで供養した壇徒の心情を無視する宗門は宗教者失格である。


日蓮正宗は、”信徒の真心の供養で建立された建物を
平然と破壊する宗教”と永遠に呼ばれる
日顕が正本堂を無用と考えた理由は池田名誉会長に対する嫉妬と、信徒蔑視の憎悪でしかない。
しかし、時間が経てば経つほど、際立つのは「破壊」という暴挙である。この日顕の蛮行はそのまま因果応報で宗門に降りかかる。
なぜなら、歴史に残るものは”日蓮正宗という教団が信徒の浄財で建設された建物を無残に破壊した”という事実だからだ。
様々な人間の感情は時間とともに消えていく。そして、ナチスの蛮行が歴史に総括されたように、後世の人々は「正本堂の建設と破壊」という事実から審判を下す。信徒の真心を唾棄する宗教を信用する者など誰もいない。
後世の人々は言うだろう。「日蓮正宗は正本堂破壊とともに世界の信用を失い、滅亡した」と。

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