新・改革通信 NO.144 (平成30年8月26日) 渡邉慈済住職の証言ー日蓮正宗と創価学会の初期の交流・本山編(3)

経済的に破綻しつつあった大石寺
 当時の本山は、今日からは想像もできないほど困窮し、経済的に破綻しつつあったのだ。
 その窮乏を救うためにはどうすればよいか? 
 普通に考えれば、檀家を増やすしかない。
 「僧侶と檀家が信心を奮い起こし、折伏に邁進すべき」と誰かが声を上げるべきであったが、当時の本山の関係者は安易な方策に走った。
 それが大石寺の”観光地化”であった。


大石寺の観光地化への動き
 これは、秋田慈舟氏や寂日坊の檀家で県会議員だったY氏らが強力に推進したもので、昭和25年11月23日には、富士宮市長や上野村長、税務署長、富士宮駅長、富士宮観光協会幹部、富士宮の新聞記者団らも出席して、「富士北部観光懇談会」が開かれるまでに具体化していた。
 
 背に腹は替えられぬとはいうものの、この観光地化の推進は明らかに間違った選択だった。
 観光地化されれば、大聖人の仏法を信仰していない人が多く訪れるようになる。
 信心もしない人を大石寺に参詣させて、その人たちが落とす金を狙うことは、誇法の布施を禁じた宗旨に違背することは明白であった。
 これでは、京都や奈良の他宗寺院と何ら変わらなくなる。(『日蓮正宗落日の真因』から)


誤った道に堕ちるところを救ったのが戸田会長
 渡邉慈済住職は「この誤った道に堕ちるところを、辛うじて踏み止どまらせてくれたのが、学会の戸田先生(第2代会長)であった」と証言している。

 戸田先生は当時、自分の事業が行き詰まり、学会の理事長職も辞めるという窮地にあったが、この観光地化の話を聞いて大変に驚かれ、学会による登山会の実施を計画されたのである。
 この登山会のお陰で、大石寺は信心を根本とした信徒によって賑わう総本山へと、興隆発展の道を歩むことができたのである。
 後日、日達上人も「ついに戸田先生はそれならば登山会をつくろうというので、登山会を 毎月一回、当時一回でしたが、登山会をすることになって、初めて本山は活気づいてきたのでございます」(昭和48年8月30日、教師講習会)と述べられている。(同著から)
 
 今、宗門は「大御本尊にお目通りしないと成仏できない」などと言っているが、宗門の歴史では大御本尊は広宣流布の時まで「秘蔵」されるべきものであった。
 そのうえで、特別な縁故の者や信心の篤い者に「内拝」という形で、非公式に参拝させていた。
 創価学会は宗門を外護するという信仰の上から、登山会を提案して経済的な援助をしてきたのである。
 そのような経緯を無視して、登山会で信徒を隷属させる宗門のやり方を、若手僧侶は見直すべきである。(続く)

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