新・改革通信 NO.158(令和2年10月7日)宗門の存続を脅かす私塾・法教院(上) いよいよ宗内教師の半数が法教院出身者に

私塾・法教院出身者が446名に
 昭和63年4月に正規の大学ではない法教院が開学し、今年で32年を過ぎた。そして今、宗内教師の半数がこの「私塾」出身者となった。現時点で、総教師数920名に対して、法教院出身者が446名(卒業者合計は約500名)である。この総教師数には、100名を超える無任所教師と70名近い隠居者(法教院出身12名)も含まれる。
 教師の半数が法教院の出身者ということは、宗門からすれば、理想の状態に近づいているということになる。法教院が設立される以前は、大坊の学生は他宗派が運営する仏教系の大学に進学していた。“それでは大聖人の仏法を正しく研鑽することができない”というのが、日顕が大学科の構想を発表した一つの理由であった。日顕の言う“大聖人の仏法を正しく研鑽した者”が続々と住職になり、果たして宗門はどう変わったのか?


住職の質の低下で、御講の話を全国で統一
 今、宗門では住職の質の低下が問題になっている。そのことを端的に表しているのが、“御講での住職の話を統一する”との本山からの指示である。平成30年3月、各末寺に文章で通達された内容は、「御書」だけではなく、「御講の所要時間」「住職の法話の時間」の他、住職が法話に入る前の挨拶まで「共通原稿」として統一された。
 すなわち、法教院出身者が増えた結果、御講での住職の話の質が上がるどころか、共通原稿が必要なほど、質が低下しているということだ。なぜこうなるのか? 答えは簡単だ。法教院では“大聖人の仏法を正しく教えていない”ということだ。


折伏のノルマに音を上げて遁走する法教院出身者
「妙教」(平成22年5月号)で、加古川市・浄福寺に在勤していた長野良宏が「法華講の育成と折伏の役割は、更に忙しく責務は重大であります。そういう意味で本当に良くやってくれている」とべた褒めされていた。その翌年の5月に長野は長崎・法敬院に赴任したが、平成28年暮れに、過酷な折伏ノルマに音をあげて寺を飛び出し、親もとに逃げ帰ったあげくに還俗した。この他にも、東羅法淳や黒沢成到など、住職の地位を放棄する者が後を絶たない。中には、住職になるのを恐れてか、29 歳で在勤から隠居になった者もいる。
昨年は、3月に高知・ 照栄寺に初赴任した金塚成惇が、わずか2カ月で親もとに戻り、北海道・安立寺の片山信器と島根・法久院の川田正実が住職を辞任して隠居した。すでに卒業者の12名が若くして隠居しているが、まだ増えるであろう。(続く)

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