新改革通信 第163号 令和3年9月9日 宗教改革の闘争・学会の「御書」発刊(4)

新改革通信 第163号 令和3年9月9日

権威のための教学を、信心のための教学に変えた創価学会


なぜ、宗門は学会の御書発刊を援助しなかったのか
戸田先生は、昭和26年5月3日の第2代会長就任後、すぐに御書全集の刊行に着手した。完成までわずか10カ月。資金調達や人員確保などの困難が立ちはだかった。
宗門は学会の御書発刊に対して“了承するが援助はしない”という態度を取った。唯一、隠尊されていた堀上人が編纂に携わり、校正から資金の調達まで全て学会の手で行われた。
宗門は表向きには“聖典の準備で忙しい”と弁解したが、そう言いながら大石寺の梵鐘の鋳造に力を入れていた。そこには“信徒が御書を発刊する”ことに対しての抵抗があった。


未だに続く“法を説くのは僧侶
信徒は供養だけしていれば良い”という差別意識
 宗門では、僧侶の役目は「令法久住」、法を守り伝えることであると教えている。信徒は供養だけをしていれば良いというのが、宗門に根深く残っている差別意識だ。現宗門では御書講義が出来るのは法主だけで、住職のみがその名代で講義することを許されている。御書講義そのものが僧侶の権威であり、信徒が御書を発刊することはその権威を脅かすことだ。
 その証拠に宗門は昭和41年に『昭和新定 日蓮大聖人御書』(非売品)を発刊した。学会版「御書」にはない、今では偽書とされる「十王讃歎鈔」「回向功徳鈔」などが収録された。非売品なのは宗内僧侶用ということだ。信徒と同じ御書では権威がなくなるからであろう。


“権威の教学”を“信心の教学”に変え
世界に広めた創価学会
 “法を説くのは僧侶だけ”という考えは、宗門だけではなく、日本の仏教界全体にある差別意識である。学会の御書発刊により、誰もが日蓮仏法を学び、自由に法を説くことができるようになった。創価学会が“権威の教学”を“信心の教学”に変えたのだ。これは日本の仏教の宗教改革であると言っても過言ではない。
 さらに昭和41年、英語版機関誌に英文の御書が掲載。昭和54年には英訳36編を収録した『英文御書解説』第1巻が発刊。第7巻まで刊行され、その全巻をまとめた『英訳御書』が平成11年に発刊。今や10言語以上に翻訳されている。文字通り、世界中の人々が自由に日蓮仏法を学ぶことができるようになった。御書の英訳は単なる文字の翻訳ではない。大聖人の御精神を正しく伝えなければならない。信心のある学会にしかできない偉業である。
 そしていよいよ、11月に御書32編を新たに収録した『日蓮大聖人御書全集 新版』が発刊される。新型コロナウィルスで混迷している時代に、正しい道を示す希望の光となるに違いないと私たちは確信している。(以上)

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