日蓮正宗問題研究4 – 管長の謀略と嘘を裏付ける資料が発覚(2)河辺氏の「会議メモ」が明かす謀議
今回明らかになった河辺慈篤氏の「会議メモ」によれば、平成二年七月、日蓮正宗首脳の七人の僧侶によって二回にわたり学会破壊のための秘密会議が開かれました(役職、年齢は当時)。
<出席者>(敬称略)
- 阿部日顕(あべ・にっけん=日蓮正宗管長 71歳)
- 藤本日潤(ふじもと・にちじゅん=同 総監 64歳)
- 早瀬義寛(はやせ・ぎかん=同 庶務部長 58歳)
- 秋元広学(あきもと・こうがく=同 渉外部長 53歳)
- 八木信瑩(やぎ・しんえい=大石寺主任理事 59歳)
- 関 快道(せき・かいどう=日蓮正宗海外部主任 50歳)
- 河辺慈篤(かわべ・じとく=日蓮正宗参議 64歳)
学会破壊の謀議に関与した7人。中央の日顕法主から時計回りに河辺、藤本、八木、関、秋元、早瀬の各氏。
<第一回会議>「西片会議」
日時 平成二年七月十六日夕刻
場所 大石寺東京出張所(東京都文京区西片二丁目)
ここでは、主要な議題として池田名誉会長の「追放」が語り合われ、周到に学会破壊の作戦が練られていたことがはっきりと記されています。そして、この恐るべき陰謀の急先鋒、首謀者として、もっとも強硬な意見を主張したのが日顕法主であったことが生々しく綴られています。この中に登場する学会と宗門との「連絡会議」をはじめ、一連の事実経過はメモの内容とぴったり合致しており、記載内容の信憑性を裏付けています。
<河辺慈篤「会議メモ」より>
=西片(注=大石寺東京出張所)にて夕食=
(猊下(注=日顕法主)、八木、関、河辺)
猊下より投書四通を見せられる。
八木、関=池田はダメ。池田はなおらない。池田を追放すべきだ。など強硬意見が出る。
話題は、池田追放の方向で進められ、猊下、八木、関共に“池田追放”で強硬意見。
藤本、早瀬、秋元が、十七日の連絡会議の事前の打合せが終り到着。
当初、宗務院全部長、内事部役員が集い会議を開く予定だったが、河辺が「天下公開で会議を開くようなもの。例のメンバーで会議を開くべきだ」との意見から、猊下、総監(藤本)、早瀬、秋元、八木、関、河辺のメンバーで西方会議(御前会議)が開かれる。
=西 片 会 議=
連絡会議での宗門側申入れ事項
特別財務、財務において「供養」と称する事は「6.30の教義上問題」に違反。
学会は、現在募金中の財務募金を中止し、募金した募金は会員に返還する事。
連絡会議での対応
- 明日の連絡会議では、今回の問題のひっかけとなった宣徳事、是正寺問題、その他、宗門の問題を忌憚なく云わしてもらうと学会が云ってきているので、その話は聞くだけ聞き、
- その上で、特財、財務の件について、信徒からの投書を証拠に追及する。
池田追放の線を出す。
注=以上の方向で会議が進められていたが、特に、猊下は「池田追放」「特財・財務中止」と激しい口調で強調されていたが、河辺が「こんな事を現状の宗門でやったら両刃の剣となる。やるなら、先づ宗門の綱紀を糾し、その上でやるべきだ」と、又、藤本も「投書は伝聞(本人に電話で問い合わせ伝聞と分る)であるので、根拠に問題がある」と諫めた結果、猊下及び全員のトーンが下る。
結局、18日午前9寺時、総本山大奥に於て、今日のメンバーが集合し、再会議という事で結論を持ち越し西片会議終る。
<第二回会議>「御前会議」
日時 平成二年七月十八日午前九時
場所 大石寺大書院(静岡県富士宮市上条)
前回の継続会議として開かれたこの日の会議では、学会破壊の謀略の作戦名として日顕法主の口から「C」という言葉が飛び出し、「C作戦」の命名者が日顕法主であることは明らかです。会議の方は決行をめぐる激論の末、正宗内部の準備不足のために、「C作戦」は一時延期し、代わりに八月末の正宗の「教師指導会」で綱紀自粛を打ち出すことが合意されました。実際のその後の経過もこのメモが示す通りの流れとなっています。しかし、日顕法主の野望はこれで潰えたわけではなく、ここで見合わせられた「C作戦」は遂にこの年の十二月末の突然の名誉会長の総講頭罷免という形で決行されたのです。
<河辺慈篤「会議メモ」より>
=御 前 会 議 於大書院=
注=御前会議が大書院に変更になったのは、当初、大奥洋間、新大奥と、盗聴を恐れて、いろいろ思案の末、大書院となり、あへて障子を全部開放し会議。
御前会議の流れ
早瀬部長よりの連絡会議報告の後、池田追放の線で進められ、
河辺=それでは、この作戦はG作戦だ。
猊下=それは違う、Cだよ。
ともかく(7月)21日の池田の目通り(が)山だ
もう少し池田の証拠を集めて、C作戦の時を待つ。
教師講習会の時に「6.30の教義上の問題を通して財務問題(供養問題)を重点に」猊下、宗務院が話す。
河辺=C作戦というが、いずれはやらなくてはならない問題としても、今この問題をやる事は両刃の剣を持つ事になる。やるとしても大事な事は、僧侶の綱紀自粛が必要。この作戦を実行しても、返す刀で、この綱紀問題で学会にやられる。
猊下=お前は分析、分析というが、分析して何ができると云うんだ。
=激しく怒ったように河辺を叱責=
河辺=いえ、綱紀を糺さなくては必ず学会からやられる。綱紀自粛の指導を教師指導会でやるべきだ。それから学会問題をやるべきだ。
藤本=私も河辺の云う通りと思う。今この問題をやれば両刃の剣となる。
河辺=学会相手に戦う時は、日刊の聖教を相手に戦う事になる。宗門は此れに対抗するものはない。
猊下=皆んなは、この河辺の意見に対しどう思う。
=全員無言で河辺に賛成の表顔=
早瀬=私も河辺の意見の方がいいと思う。
以上の意見のやりとりが昼食をはさんで続き、結局、池田追放の件は当分見合わせ、僧侶の綱紀自粛という事になり、来る八月末の教師講習会で綱紀自粛に関する指導会を開く事になる。
そのための会議を開く事に決し御前会議終る。午後15時
河辺自身が「俺の字だ」と認める
なお、メモの筆跡は河辺氏の文字の特徴とそっくりであり、実際、昨年末にある僧侶の質問に答え、河辺氏自身が、
あれは俺のものだよ。俺の字であることも言っておく。
と自分のメモであることを認めています。