日蓮正宗問題研究7 – 平成の宗教改革を知るための「資料集」2
(3)資料紹介「これが日顕宗の実態だ」

 本同盟の住職、若手僧侶が登場。生々しい現場体験に基づき、日顕法主が牛耳る宗門の腐敗堕落した実態を告発しています。平成四年二月、日蓮正宗の改革を願って、住職七名が「日蓮正宗改革同盟」を結成。翌月には、若手僧侶十人が「青年僧侶改革同盟」を結成。同ビデオでは、それらの結成時の記者会見の模様をまず紹介し、続いて僧侶各人へのインタビューへと流れていきます。宗門僧侶による初めての証言ということで、発売当時、多大な反響を巻き起こした作品です。カラー/20分。シナノ企画制作。

 次に、同ビデオの構成と主な内容を紹介します。

●大橋正淳住職(和歌山・大照寺)

 私は、日顕法主が学会切り捨てに使った謀略『C作戦』について、同法主に直接、真偽を問いただす機会があった。日顕氏は、最初しきりに言い逃れを続けていたが、途中で急に「あれはだな、(池田)名誉会長の、あの野郎の首をはねることなんだ」と声を荒げた。そして、自ら「CUT」のスペルを手でなぞる仕草をしながら、私に説明したのである。

●宮川雄法氏

 私は、かつて日顕法主の秘書役である「奥番」の僧侶だった。「奥番」になって、最初に先輩から言われたのは、「猊下(日顕法主)は仏様なんだ」ということと、「大奥で見たことは絶対に外に言ってはならない」ということだった。実際に、日顕法主と生活を共にしてみると、朝晩のお勤めすらサボって全くしない。逆に、私が、空き時間に題目を唱えていると、「信者みたいな真似するな」と日顕法主から叱られる有様だった。仏道修行を嫌がる法主とは、前代未聞だ。

 また、日顕法主は仙台の気仙沼でとれる「マコモ」という薬草に凝っていた。高価なマコモを大量に風呂に入れ、「マコモ風呂」を楽しむのである。ある時、私は風呂を熱く沸かし過ぎてしまった。さっそく、法主に呼ばれ、「バカヤロー、キサマ、この風呂に入って見ろ!」と怒鳴られたかと思うと、熱くなった風呂の中に頭ごと沈められた。その時の日顕法主は「仏」どころではなく、まさに「夜叉」「魔王」のごとき形相だった。

●池田託道住職(滋賀県・世雄寺)

 私は、少年時代から僧侶になり、大石寺で修行したが、大石寺の内情は暴力が横行し、とてもまともな人間が育つ環境ではない。例えば、先輩からの制裁として、「けつバット」というのがあったが、私など、フルスイングで37発もやられた経験がある。また、同期の僧侶仲間が、頭を木づちで殴られ、鮮血がそこらじゅう、飛び散っているのを目撃したこともある。

 さらに、こんなこともあった。ある日、仲間と一緒にスイカを食べていたら、どうも背中のあたりがスースーする。しばらくして、猛烈な痛みが襲ってきた。よくみると、ふざけた先輩が私の背中を包丁で切り、喜んでいたのである。こんな仕打ちを受けても、すべて泣き寝入りするしかなかったのが、これまでの大石寺であった。

 因果の報いというべきか。宗門僧侶の最後の姿は、悲惨そのものである。私が見たある住職の死相は、目を見開き、とても正視できるものではなかった。

●菅原雄政氏

 宗門の僧侶は、たとえ修行していなくとも、自堕落な生活を送っていようとも、法衣をつければ、日蓮大聖人と同じになれると信じ込んでいる。特別階級、貴族気取りで、信徒が汗水たらして布教に励む苦労をまったく理解しようとしない。信徒の上に平気であぐらをかいているのが、いまの宗門僧侶だ。

●松岡雄茂氏

 宗門の末寺住職は、世間から見ても、並外れて贅沢だ。私が勤めた末寺でも、ベンツなど数台の外車を所有し、それをゴルフなど遊びばかりに使用している。また、僧侶の結婚式をオークラなど高級ホテルで挙行したり、中には自分の昇進パーティーを東京の帝国ホテルで開いた老僧もいた。

 彼らの資金を潤沢にしているのは、「塔婆」などの仏事収入である。住職たちは、徹底した商売根性を発揮し、塔婆は何回も削って再使用していた。また、僧侶たちのいい加減な戒名のつけ方には怒りを覚えた。他宗派の戒名辞典を見るのはまだいい方で、寺の名前、僧侶の名前から適当に取ったり、何の説明もせずに若い所化小僧につけさせたりしていた。そうした中には、自転車屋さんに「自転法輪信士」とつけた例もあった。

 ※前号に引き続き、私どもが随時発行しているFAX紙「改革時評」の中より、宗門の「塔婆供養」に関連した記事を同封いたしました。参考に御一読下さい。