日蓮正宗問題研究8 – 平成の宗教改革を知るための「資料集」3
(1)出家の意義を考える

■「聖僧」の伝統はどこへ?

 僧侶になることを「出家」といいますが、皆さんは「出家」という言葉からどのような意味を想像するでしょうか。文字通り「家を出る」ことですから、家族と離れ、世俗の全ての欲を断ち、悟りを求めてひたすら修行に打ち込む、そんなイメージでしょう。昔から、出家した僧侶は「三界に家なし」と言われ、世俗を断ち切って修行に専念することが仏に仕える者の基本要件とされました。

 わが日蓮正宗においても、宗祖日蓮大聖人も第二祖日興上人も生涯、妻子を持たれず、肉食すらされない「聖僧」(せいそう)であられました。そして日蓮正宗では肉食妻帯ともに断った「聖僧」の生き方を門下僧侶の永遠の規範と定められたのです。

 ところが、時代が下り、明治政府によって僧侶の肉食妻帯を解禁する旨の「太政官布告」が発令されると、宗教的情熱を失っていた当時の日蓮正宗は、宗開両祖の遺訓そっちのけで政府の見解にこれ幸いとばかりに飛びつき、ほとんどの僧侶が妻帯するようになりました。さすがに最初は人目を避け、こっそりと妻子を養っていたようですが、この傾向は次第に既成事実化していったのです。こうして「出家」の本来の意義が崩れていきました。

 僧侶が妻帯するようになって生じた最大の堕落は、教団の血族支配でした。「閨閥(けいばつ)」と呼ばれる名家による独占支配です。事実、現在の宗門の高僧は、ほとんどが父親が僧侶の「二世僧侶」ばかりで、有力寺院の住職ポストすら父親から息子への露骨な世襲化が進んでいます。

■日顕法主は“在家法主”

 それでも、最高職である法主だけは、これまで、かろうじて在家出身の“正統派”僧侶によって受け継がれてきました。ところが宗門史上初めて父親が僧侶である「二世僧侶」の法主が登場したのです。それが現67世・阿部日顕氏であります。

 日顕氏の父親は昭和初期の法主でしたが、妻帯を公然と行い、その結果生まれたのが日顕氏だったのです。この出自が象徴するように、日顕法主の堕落ぶりは前代未聞のものがあります。

 例えば、法主の“公邸”として、大石寺には「大奥」と呼ばれる施設があります。ここは、本来神聖な宗教施設であり、側を通る僧侶は合掌して通り過ぎるほどです。しかし、日顕法主夫人をはじめ、娘や孫たちは自分の家のように勝手気ままに出入りし、ベットなど家財道具を持ち込み、庭も好みの姿に改造しました。また、夫人は宗内では「裏猊下(法主)」と呼ばれるほど絶大な影響力を持っており、宗内幹部の人事を影で操作しているともっぱらの噂です。

 日顕法主も、本山の行事・法要の日を理由もなくずらし、あるいはサボッて、修行もそこそこに、家族を引き連れては、伊豆あたりの超高級温泉へ出掛けます。一時は、ほぼ毎月のペースでした。そして、隠居後のことを考えてか、東京の目黒・世田谷の一等地に、なんと数十億の別邸を建設する計画まで立てていたのです。

 法主がこの体たらくですから、他の僧侶が“右にならえ”をしないはずがありません。超一流ホテルで芸能人並みの結婚披露宴を行う役僧の子息がいます。寺を息子に継がせるため、せっせと貯蓄に励む住職など、数え切れません。要するに、今の宗門には真の「出家」と呼べる僧侶が一人としていないのであります。現実は、「在家」同然の「在家僧」集団と言わざるをえません。そして、「仏法」よりも「ファミリー」を第一とする“在家法主”というのが、日顕氏の偽らざる真実の姿であります。

 「在家」の法主が「在家」の信徒を見下す。「在家」なのに「出家の権威」を振り回す。この倒錯の中にこそ、今回の宗門問題が起こった要因があると私どもは認識しております。