日蓮正宗問題研究9 – 日蓮正宗・阿部日顕法主「シアトル買春事件」の真相
(1)「シアトル事件」とは何か

 今、日蓮正宗内では、阿部日顕法主の「シアトル事件」を巡って、宗派の存亡に関わる激震が続いております。最近、この事件について、日蓮正宗が社会に対し、創価学会の策謀だ、云々と騒ぎ立てているのも、宗内の内部批判を封じ込める目的からに他なりません。もとより、私どもも法主の買春事件を公にすることは本意ではありませんが、勇気ある告発を行った信徒の名誉を守り、更に無反省の問題法主に自省を促すためにも、あえて、問題提起をする次第であります。


アメリカ出張法要の旅先で買春した高僧

 さて、「シアトル事件」とは、今から32年前の昭和38年(1963年)3月19日の深夜から20日の未明にかけて、アメリカのシアトル市で日顕法主(当時・日蓮正宗教学部長)が、複数の売春婦とトラブルを起こし、警察沙汰になった事件のことです。昭和38年当時、創価学会員の真剣な弘教によって、海外においても信徒が急増しました。その海外の新入信の人たちのために御授戒(入信の儀式)をしてほしいとの要望が高まり、日蓮正宗史上初の海外における出張御授戒がアメリカで行われることになりました。この第1回海外出張御授戒には二人の僧侶が選ばれ、その一人が阿部信雄教学部長(現日顕法主)だったのです。

 この出張御授戒は、同年(昭和38年)3月15日から30日までの全15日間の日程が組まれており、途中、別行動したため、シアトルでは阿部教学部長が一人で滞在しました。

 阿部氏はシアトルで19日深夜、宿泊していたオリンピックホテルをこっそりと抜け出し、シアトル市内のセブンス・アベニューへ繰り出しました。そこで、売春婦とトラブルを起こし、路上で揉めていたところをパトロール中の警察官に発見されたのです。その時、英語の分からない日顕法主が現地創価学会シアトル支部・支部長のクロウ夫人の連絡先の電話番号を書いたメモを持っていたことから、その場にクロウ夫人が呼び出されました。

 日顕法主は、事情聴取のため、警察署に連行されるところでしたが、駆け付けたクロウ夫人は「何かの間違いだ」と警察官に抗議、日顕法主の代わりにクロウ夫人が警察署に出頭し、警官との交渉に当たりました。

 結局、クロウ夫人の懸命の訴えにより、日顕法主は無事、その後の法要をつつがなく終えることができ、帰国の途に就くことができたのです。