日顕法主の相承疑惑

日顕法主の相承疑惑

なぜ日顕法主は、ここまで狂ったのか。それは日顕法主が、相承を受けていない「詐称法主」だからです。それを裏付ける証拠は次々と出てきています。


【証拠1】 1979年7月22日の日顕法主の発言

憂宗護法同盟著「法主の大陰謀」によれば、日達前法主が急逝した、1979年7月22日、日達前法主の息子である細井珪道、琢道、そして娘婿の菅野慈雲らを前にして次のような発言をしたといいます。

  • 日顕法主は、「あと(相承)のことはどうなっているのか?」と尋ねている。
  • 菅野が「総監さん(日顕法主)じゃないんですか?」と言うと、
  • 日顕法主は、「あぁ…そうかぁ…」と呟いたという。

本当に「相承を受けた」というのなら、この場で「私が受けています」と言うのが当然。この言動からも、日顕法主が相承を受けていないことは明らかです。

【証拠2】 1978年4月15日の日達前法主のスケジュール

日顕法主が「総本山大奥で相承を受けた」という4月15日の日達前法主のスケジュールは次のようなものでした。

  • 午前0時 大客殿で丑寅勤行。終了後、大奥で就寝。
  • 午前7時 御影堂にて御講(約1時間)。
  • 午前8時 御講終了後、塔中住職による誕生日祝い。その後、大奥で朝食。
  • 午前9時30分 塔中住職による誕生日祝い(約10分〜15分)。
  • 午前10時 本山で結納を行なった原田篤道らが結婚の報告(約15分)。
  • 午前11時 身支度の後、大石寺東京出張所に向け出発。
  • ※その後、夕方に都内レストランで誕生祝賀会。終了後は出張所に宿泊

このスケジュールから、相承を行なう時間など全くなかったことは明らかです。

【証拠3】 歴代法主の相承

64世日昇法主から65世日淳法主への相承は、1956年3月30日に行なわれ、その模様は「大日蓮」(同年4月号)に克明に記されている。

また、65世日淳法主から66世日達法主への相承は、1959年11月16日に行なわれ、その旨は翌17日に「院達」で発表された。

このように、継承の事実を内外に広く知らせる意味ももつ相承の儀式の重要さを熟知している日達前法主が、立ち話程度の時間しかない「1978年4月15日」に、日顕法主に相承するはずがないのです。

【証拠4】 出せない相承箱

正当な法主なら、当然、持っているはずの「物的証拠」であるにもかかわらず、いまだかつて日顕法主は、その存在を証明したことがありません。かつて正信会との間で「日顕法主の相承問題」が訴訟沙汰になった時も、その在り処すら示せなかったのです。

日達法主が相承せずに急逝したのを奇貨として、日顕法主はニセの相承話をデッチ上げ、まんまと猊座を盗み取った―――事実とすれば恐るべき謀略です。


「相承箱強奪事件」

相承の確かなる物証となる相承箱。いったいどこにあるのでしょうか。

憂宗護法同盟は昨年発刊された「続・法主詐称」で、興味深いエピソードを紹介しています。

登座から一年半後の昭和56年1月13日、日顕法主が相承箱の強奪を企て、あえなく失敗したという笑い話です。

日顕法主が乗りこんだ先は、日達法主の娘婿・菅野慈雲(日龍)のいる大宣寺(東京・国分寺市)。お供にしたのは早瀬義寛(日如)、早瀬義孔、息子の阿部信彰、八木信瑩(日照)。

奥座敷に上がりこんだ日顕法主が「時に・・・・」と切り出す。即座に「相承箱」だなと不穏な臭いを嗅ぎとった菅野は「御相承をお受けになったんでしょう・・・・・?」と軽く一撃。これだけで日顕法主は簡単に玉砕し「ア、ア、そう、そうなんだ」と黙り込む。結局肝心の相承箱を拝むことすらできずに、弟子どもと尻尾を丸めて引き返すしかなかったといいます。

この衝撃の新事実が暴露されるや、宗門は「名誉毀損だ」「捏造だ」と大騒ぎしました。これに対して同盟側は、話の出所が、ほかならぬ菅野日龍当人であることを明らかにしました。

菅野といえば、日顕法主が問う在来、腫れ物に触るように取り扱ってきた「爆弾」。その名が出たとたん、宗門は弱腰となり、反論不能に陥ったのです。


除歴におぼえる日顕法主

相承箱の中身とは何か。

堀日亨上人によれば、相承箱の中には相伝書等と一緒に「授受の代々の法主が伝える一枚の紙切れ」が入っているといいます。「紙切れ」とは、いわば代々の法主の「系譜図」のようなもの。

日亨上人は、その「系譜図」について「精師は(歴代から)抜いてある」―――江戸時代に「造仏読誦」の邪義を唱えた17世日精法主は「除歴=歴代から削除」されている―――と証言されています。

その日精法主に対して異常な関心を抱いているのが日顕法主です。

「シアトル事件」の裁判を自ら取り下げ大敗北した後も「これでワシも精師のように言われなくて済む」と胸をなでおろしたといいます。

要するに自分が日精法主の如く「除歴」されることに怯えているのです。

しかし「除歴」も何も、日顕法主の名前など最初から「系譜図」にはありません。

相承もない。系譜図にも載っていない。そんな「ニセ法主」が誰に相承しようが、後釜はやはり「ニセ法主」。

宗門の相承は、日達法主の代で断絶しているのです。