新・改革通信 NO.117 (2011.11.1) 御開扉はもともと「内拝」で非公式なもの 日亨上人は「常例となったのは、もったいない事」と
広宣流布の時まで「秘蔵」とされて来た大御本尊
今、宗門は「大御本尊にお目通りしないと成仏できない」などと言っているが、宗門の歴史に照らして、これは大間違いである。
五十九世の日亨上人は『富士日興上人詳伝』に以下のように書かれている。
「開山上人は、これを弘安二年に密付せられて、正しき広布の時まで苦心して秘蔵せられたのであるが、上代にはこのことが自他に喧伝せられなかったが、いずれの時代(中古か)からか、遠き広布を待ちかねて特縁により強信により内拝のやむなきにいたり、ついには今日のごとき常例となったのは、もったいない事であるから、四十余年前には、有名な某居士が懇願して月一回という事にもなった事があったが、永続しなかった。」
すなわち、大御本尊は広宣流布の時まで「秘蔵」されるべきものであったが、特別な縁故の者や信心の篤い者に「内拝」ということで、非公式に参拝させるようになった。そして今では特例である「内拝」が常例になっていることは「もったいない事である」と言われているのだ。
「内拝」は非公式だから、樒を飾らない
「内拝」とは秘蔵されている大御本尊を特例として内々に拝するという意味である。
大御本尊は「秘蔵」されている状態なので、あえて水も供えないし、樒も飾らないのである。
大御本尊は「秘蔵」されている状態なので、あえて水も供えないし、樒も飾らないのである。
本来は「遙拝(ようはい)」されるべき大御本尊
かつて丑寅勤行は、客殿での五座の勤行が終わった後に、導師を務めていた法主と供の僧侶が「遙拝所」に移動する。そこには樒が飾られている。
そして、その「遙拝所」で方便・自我偈の読経をする。すなわち、遥か遠くにある大御本尊を拝するので、これを「遙拝」というのである。
これが、大石寺に伝わる大御本尊の拝し方である。
「遙拝」「内拝」であるから、直接に
大御本尊を拝さなくても成仏できる
宗門は自分たちの権威を守るために、常に真実の歴史を隠して信徒の目を欺こうとする。実に卑怯な姿である。
宗門の御開扉は今でも「内拝」であり、非公式な参拝である。非公式であるから、成仏のために必須ではない。また「遥拝」ならば、たとえ自宅からでも拝することができる。
宗門の御開扉は今でも「内拝」であり、非公式な参拝である。非公式であるから、成仏のために必須ではない。また「遥拝」ならば、たとえ自宅からでも拝することができる。
ところが、宗門はそれをいかにも正式なものとして誤魔化して、「御開扉を受けないと成仏できない」などと信徒を脅している。
数合わせの「付御開扉願い」にどんな意味があるのか
「付け願い」とは、本人は登山しないで御開扉料だけ他の人に託して登山したことにする制度である。本来は病人など特殊な事情がある者に限られていた。しかし、今の宗門ではこの「付け願い」が登山の数合わせに悪用されている。
本来の意味から言えば、登山できない者は「遥拝」でも構わないはずだ。「恋慕の信心」こそが大事であるはずなのに、登山のノルマを達成するために「付け願い」で数を合わせることに一体、何の意味があるのか? これではまるで商売である。(続く)