新改革通信 特集「C作戦」検証(4) 令和8年3月2日 見せかけの綱紀自粛。学会を賛嘆しながら裏で謀略を進めていた日顕

新改革通信 特集「C作戦」検証(4)
発行:青年僧侶改革同盟
令和8年3月2日

見せかけの綱紀自粛。学会を賛嘆しながら
裏で謀略を進めていた日顕

 平成2年7月に行われた2度の作戦会議で「C作戦」は一旦中止になり、創価学会から宗内の風紀の乱れを指摘されることを防ぐため、8月末の「教師指導会」で綱紀自粛が打ち出された。参加した住職たちは突然のことに皆、怪訝な顔をしていた。
 内容の一部を紹介するが、僧侶として当たり前のことが出来ていなかった証左である。

・遊興に耽り僧侶として信徒や一般から非難・顰蹙を買うような言動は厳に慎むこと。
・服装・装身具等について、僧侶としての品位を汚すものは禁止する。また華美、贅沢なものは慎むこと。

 この時、日顕は「宗門と学会に軋轢がある」と言い、総監の藤本は「創価学会に関する様々な不協和音が聞こえてくることは御承知のことと存じます」とわざわざ問題を大きくするような話をしている。何も知らない住職たちの危機感を煽っていたのだ。
 そして藤本は「在家信者の在り方を云々する前に、まず自分自身の姿勢を糺すということが肝要」と自粛の目的は学会にものを言うためであると白状している。

●綱紀自粛の「その根本は不断の信心と行学」と言いながら豪遊に出かけた日顕

 この綱紀自粛が謀略を隠すためのポーズにすぎなかったことを真っ先に証明したのが、日顕であった。日顕は8月30日、教師講習会閉講式で「綱紀自粛」について「その根本は不断の信心と行学」と話し、その日のうちに息子夫婦らとともに6人で伊豆長岡へと出かけ、有名な高級旅館に泊まっている。日顕夫婦が泊まった部屋は1人15万円の最高級の部屋で、50坪の部屋に700坪の庭がついている。その部屋で日顕らは10万円の特別懐石料理に舌鼓を打っていたのだ。
 後にこのことが『創価新報』で報道されると、宗内に大きな衝撃が走り、末寺住職から“ふざけるのもいい加減にせよ”と怒りの声があがった。

●開創七百年記念文化祭の後にも伊豆長岡の高級旅館で豪遊

 教師講習会の2日後、9月2日に開創700年記念文化祭が大客殿前広場で開催された。見事な演技に歓声があがったが、日顕は日本舞踊を寝ずに練習した「会友」に「この人たち、謗法でしょ(信心していないから)」と発言している。日顕には、過酷な練習を重ねて演技を磨き、素晴らしい文化祭にしたいと汗を流していた人々の思いなど関係なかったのだ。そして、この文化祭終了後にも日顕は伊豆長岡の高級旅館に泊まって豪遊している。
 翌年の8月の教師講習会で日顕は綱紀自粛に触れ、「御供養を湯水のごとく自分のために使いですね。まるでそれじゃ何のために寺にいるのか。根本的な自覚が失われておる」と述べている。日顕は独裁者のように自分だけは何をしても構わないと考えていたということだ。

●「C作戦」を実行する機会を窺いながら、池田名誉会長と学会を賛嘆していた日顕

 平成2年10月17日、大石寺開創700年慶讃大法要の初会が開催され、その席上、日顕は創価学会を讃える「慶讃文」を読み上げている。

「近年ニ至リ信徒団体創価学会ノ興(おこ)ルヤ折伏弘通大イニ進ミ・・・其ノ他ノ總本山境域マタ種々ノ綜合整備時ヲ逐(おう)テ進捗(しんちょく)スル半面末寺ノ建立寄進相継キ未曾有ノ正法興隆ノ相ヲ現出ス」

と池田名誉会長を中心とした創価学会の本山整備の功績を最大に讃えた。
 その一方で、11月20日、21日に大石寺で行われた御大会大法要での住職たちとの「目通り」の席で、「(供養が減って)百姓覚悟の時がくるかもしれない」と発言をしている。

●素知らぬ顔で池田名誉会長を賛嘆する原稿を学会に渡していた日顕

 同じ11月20日、日顕は『大白蓮華』(平成3年1月号)掲載の「新年の辞」の原稿を創価学会に渡している。この原稿の中で日顕は、池田名誉会長及び創価学会に対して、次のように賛嘆している。

「創価学会創立61年の出発に当たり、私ども宗門においても、心からその功績を賛嘆いたします。戸田先生の逝去後、間もなく、第三代会長の任に就かれた池田先生は、鉄桶の組織と当千の人材を見事に活用され、且つ、信心根本の巧みな指導をもって国内広布の大前進を図り、・・・今日、地球的規模による広布の着々たる進展がみられることは、撰時抄の御金言のごとく、実に広布史上すばらしいことと思います」(『大白蓮華』平成3年1月号)

 ここでも、日顕は池田名誉会長の世界広布の実績を称賛している。日顕は「C作戦」遂行の意図を学会に覚られないように、「綺語、両舌」を用いていたのだ。

●「僧侶の面から見たときに、果たしてこれでいいのか」と話し始めた日顕

 11月28日、住職を対象に行われた富士学林研究科閉講式で、日顕は創価学会の3代会長によって広宣流布が進展したことについて次のように発言している。

「広宣流布ということが、たしかに行われておるけれども、我々僧侶の面から見たときに、果たしてこれでいいのか」「開創700年を過ぎてその初めの一年に当たってすべての問題をもう一遍、我々が考え直し」「今までとは色々な面で多少違ってくる」

すでに日顕の頭の中では、学会を排除した「僧侶主体の動き」が始まっていたのだ。

 平成2年7月に一旦中止になった「C作戦」であったが、本山では不穏な発言が続いていた。9月の開創700年記念文化祭のマークの先が分かれているのを見て、本山学衆課の天野之道が「いずれ、学会と宗門が別れるという意味だ」と発言。10月の開創700年慶讃大法要の宗門と学会の会食会が予定より長引いているのを見て、若手僧侶が「いよいよドンパチ始まったか」と揶揄。11月の富士学林研究科閉講式の数日前に、御仲居・駒井専道が「創価学会はもう日蓮正宗ではない」と発言している。本山に居る一部の僧侶たちは日顕の言動に、ただならぬ気配を感じ取り、本山は異様な雰囲気に包まれ始めていた。
 そうした中、11月16日の創価学会第35回本部幹部会での池田名誉会長のスピーチの内容が、日顕に伝えられた。日顕は、このスピーチが創価学会を攻撃するための口実になると飛びついたのだ。(続く)

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