同盟通信 NO.109 (2004.11.28)

NO.109(2004.11.28) 

=花野充道は、去る11月25日再び本山に呼び出された。日顕から、行橋市・要言寺への異動を命じられたが、花野は即座に断わった。日顕は、花野を懲戒処分にしたいが、裁判が恐くてできない。そこで異動人事を行ったが、明らかに宗規に基づかない“実質処分”である。“花野の乱”第2ラウンドが始まった。花野の正念場であることはもとよりだが、宗門人も他人事と放置していてはならない。=

11月25日の目通りの席で、日顕はぶっきらぼうに、“今度替わってもらうから”と、花野が福岡県行橋市の要言寺に、園田司道が浄福寺に異動するよう申し渡した。花野が即座に断わったのは言うまでもない。“なにか考えているのか、立てこもるのか”との日顕の問いに、花野は“今は申し上げられません”と答えたという。

 日顕は、花野ごときなど、人事で一刀両断だと、たかをくくっていたのだろうが、思わぬ“肘鉄”を食らってしまった。“一寸の虫にも五分の魂”である。この応戦に慌てた藤本日潤、早瀬日如が、大奥を出る花野に、“話し合いをしよう”と、なだめにかかる一幕もあった。

 一時はあれだけ怒り、処分必至と見られていたのに、ある時期から、一転して「お咎めなし」になったことに、宗内には、なにかあったのではないか、と疑いの声が挙がっていた。日顕も、なんとか、穏便に終らせ、台湾に行きたかったに違いない。しかし、日顕は、とんでもない大きな火種を残したまま出かけざるを得なかった。日顕は自分が正しい、花野が間違っているというのなら、お得意の「宗規二百三十三条、二百三十四条、二百三十五条」を用いて、譴責、停権、降級、罷免、奪階、擯斥のいずれかに、懲戒すればよいではないか。しかし日顕は、できない、かといってこのままという訳にはいかない。そこで左遷“人事”で、有無を言わさず押え込もうというのだ。これならはっきりした根拠を、明示しないでいいからだ。しかし、誰が見ても“処分”そのものである。日顕らしい汚いやり方である。今回、花野には「記者会見をやったらいい」「宗門の将来のために、堂々と戦え」とエールが、「同盟」関係者にも聞こえてくる。

 また、宗内には、特に常在寺・細井珪道、大宣寺・菅野日龍ら、日達上人の弟子が立ち上がるべきだ、という声が強い。当然だろう。そういえば、大宣寺・観清舎の開館式(平成14年4月15日)で、集まった120人の日達上人の遣弟を前に、細井珪道は“その他にも面白いことがあるが、おいおい話すことにして、今日はこれくらいにしたい”と言い、菅野日龍は“柏の葉は新しい芽が出るまでは、耐えて枯れない”と、涙を流していたではないか。花野が、日達上人の御指南の通り、勉強しているのが、気に食わないのだろう。日顕は、これこそが宗門史に残る自らの偉業である、と思っている「法教院」を、根底から花野に否定されたことになったのを我慢できないのだ。しかし、花野の言は誰が聞いても正論である。我々は、花野に対し、“左遷人事処分”も元より覚悟の上であり、「よからんは不思議わるからんは一定とをもへ」「難来るを以て安楽と心得可きなり」の御文を身で読むべき時と、声援を送った。

 宗内諸師よ、花野を見殺しにしてはならない!これは花野“個人”の乱ではない。宗門の本質にかかわる問題である。学会問題とも何の関係もない。他人事ではない、好き嫌いを超え、絶対花野一人を見殺しにしてはならない!

(憂宗護法同盟員より)

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