新改革通信 第172号 令和7年11月28日 創価学会を破門し、広宣流布を放棄した日蓮正宗 寄進された寺院に居座ることは創価学会に依存し続けること
新改革通信 第172号
発行:青年僧侶改革同盟
令和7年11月28日
●僧侶と法華講の役目は折伏ではなく、「令法久住」「法灯相続」と言っていた宗門
34年前の1991年11月28日、日蓮正宗が創価学会に「破門通告書」を送り付けた。この日を創価学会は「魂の独立記念日」と呼んでいるが、宗門にとっては〝広宣流布を放棄した日〟であったと言える。
創価学会を破門するまで宗門は「広宣流布は在家の仕事。僧侶の役割は令法久住」「折伏は創価学会の役目、法華講は法灯相続が役目」と言っていた。すなわち、宗門は法華講には折伏は無理だと思っていたということだ。なぜなら、創価学会が誕生する以前の宗門では、檀徒は折伏はおろか勤行・唱題もしていなかったからだ。他宗と同じで、檀徒は僧侶に布施をするのが役割だった。
創価学会を破門にした結果、残ったのは折伏の責務を放棄している僧侶たちと、折伏の経験のない法華講員たちである。
●「令法久住」の実態は、生活の安定のため仏事で布施を受けること
なぜ宗門は僧侶の役割を「令法久住」としたのか。そこには、江戸時代から続く「檀家制度」の名残で、生活の安定のため、布教よりも檀家の仏事を行って布施を受けるという体質が表れている。
かつて日顕は「学会員のうち20万人が本山につけばよい」と発言していた。この「20万人」という数字は僧侶が生活するために必要な信徒の数である。僧侶の世界では〃末寺は200人から300人の檀家がいれば生活できる〃という計算がある。宗門の約600ケ寺にそれぞれ300名前後の信徒として計算し、「20万人」としたのだろう。すなわち、日顕が示した「20万人」とは、末寺と本山を食わせるための信徒の数ということだ。
●目論見がはずれ、信徒の獲得にあせる宗門が始めたことは〝創価学会の真似事〟
しかし、日顕らの目論見は大きくはずれ、彼らは自分たちの生活を守るため、信徒を獲得しなければならなくなった。そのため、創価学会をまねて折伏目標を立てて、法主が号令をかけ始めたのである。しかし、上辺だけの真似事で成果が出るはずはない。法難を恐れず、不惜身命の実践を貫かれた歴代会長と共に戦って来た創価学会の足元にも及ばない。
僧俗差別を利用して、長年の間、檀徒から供養を搾取してきた者たちが、いくら声高に〝折伏しろ〟と叫んでも糠に釘である。
焦った宗門はブラック会社さながら、折伏のノルマを末寺に課せたが、末寺の住職らがまともな折伏ができるはずがない。姑息にも高齢の学会員を狙って脱会させたり、法事に集った親類を名簿上の檀家にしたり、観光に来た外国人を入信したことにして報告した。だから、名簿上の数は増えても登山や御講の参加者が増えないという事態に陥った。しかし、もともと宗門に折伏する力がないことは創価学会が誕生する以前の宗門の勢力を見れば、一目瞭然である。
●戦前は75ケ寺で住職が52名しかいなかった弱小教団
戦前の宗門がいかなる現況であったか、昭和14年の文部省宗教局調査による、日蓮正宗と日蓮宗各派との勢力の対比を紹介する。
寺院数・住職数と檀徒数(昭和17年版『毎日年鑑』)
日蓮正宗 75ケ寺/ 52名/ 4万6,332名
日蓮宗各派合計 4,962ケ寺/ 4,451名/ 207万4,530名
戦前の宗門の寺院は75ケ寺しかなく、しかもその約3割が無住であったということである。宗門は700年間、布教することもなく、細々と食いつないで来たということだ。この本山の窮乏を救ったのが創価学会である。
宗門は創価学会から、約100万坪の本山用地と356の寺院の寄進を受けている。寄進寺院は現在の寺院数の半分を超え、宗門への金銭的援助のために始めた「登山会」の参加者数は7千万人に上り、御開扉料から末寺に対する供養を含めると金銭的供養は計り知れない。
●謗法の供養だからと正本堂を破壊したくせに寄進寺院に住み続ける無節操な坊主たち
日顕は〝正本堂は謗法の学会からの供養で建立したから〟と破壊を命じた。その理屈を通すなら、学会から寄進された寺院も破壊するか、学会に返還すべきである。ところが宗門の住職らは〝謗法の供養〟である寄進寺院に何食わぬ顔をして住み続けている。機関誌で寺院を紹介する時も学会寄進に触れずに誤魔化している。なんと無節操で恥知らずなことか。
京都にある他宗の寺院のある住職はたまたま出会った学会員に「創価学会のようにあれだけ寺を守ってくれる信徒団体は他にない。しかも多くの寺を寄進してもらい、それを破門にして、寺だけパクって。日蓮正宗を絶対に信用してはいけない」と語っていた。
彼らは〝盗人〟であり、寄進寺院に住み続けるということは、永遠に創価学会に依存し続けることであると肝に銘じるべきだ。
●創価学会は「法師のサンガ」として本地を表し、宗門は反「法華経」の教団と化した
法華経「法師品」には、僧俗問わず、経を読誦して弘める者は「法師」であると説かれている。創価学会は「破門」により、発迹顕本をして僧侶を養うための信徒団体ではなく、民衆を救う「法師のサンガ」としての本地を現した。何よりも大事なことは大聖人の仏法を民衆のもとに取り戻したことである。この偉業は仏法三千年の歴史を変えるエポックとなった。すなわち、大乗菩薩の実践をする在家の世界的な教団が誕生したことで真の意味での「民衆仏法」が確立し、万年にわたって民衆が主役となるからだ。
これに対して宗門は、法華経に説かれる僧俗平等の教えに反して〝僧侶が上〟と説き、在家の自立を防いで、僧侶を養うための檀徒を増やそうと躍起になっている。反「法華経」の教団と化した宗門は自滅の道を歩み続けているだけである。(以上)