新・改革通信 NO.22 (2005.11.18)盗座日顕、遂に逃座!負け犬・日顕の哀れな末路(1)

「日記」と「相承箱」は何処に? 物的証拠は何も無し。

年内に日顕が退座するという情報が宗内を駈け巡っている。次期法主は早瀬日如という話だ。早ければ今月の御会式、遅くとも来月十九日の日顕の誕生日には内付を行うのではないかと囁かれてい る。

しかし、所詮は日達法主が突然、逝去し、その混乱に乗じて、日顕が勝手に申告して盗み取った猊座である。日顕は盗座法主であり、早瀬はそ の盗座二世、日顕宗二世でしかない。

しかも、その盗座二世は哀れにも日顕の広布破壊のツケを一切、背負わされる。要するに日顕は、すべてを人に尻拭いさせて、自分は責任逃れ の退座をする。最初はどさくさに「盗座」した日顕は、最後はとんずら の「逃座」をするのだ。本末究境してデタラメ偽法主である。

正本堂破壊、三宝破壊、三大秘法義破壊、化儀破壊、宗風破壊、宗門破壊等々。破壊・破戒の罪を日顕は早瀬に押し付けて、逃げるのである。 早瀬もむべなるかな。日顕から相承されるものは〃堕地獄の大罪〃でし かない。

誰も見たことがない「日記」と「相承箱」

日顕は未だに相承の証拠を示すことができない。ただ、口先の言葉だけである。まず、日顕は昭和五十三年四月十五日に日達法主から「内付嘱」を受けたと言っている。そして、正信会が提訴した「地位不在確認訴訟」にお いて、日顕は「内付嘱」を受けたことが、〃自分の日記に書いてある〃 と主張した。しかし、シアトルの手帳は出しても、その重要証拠の「日 記」はついに裁判所に提出されることはなかった。

また、憂宗護法同盟から「相承箱」が日顕の手元にないことを指摘された折には、日顕はわざわざ「院達」を出して「御先師よりお承けした 『御相承箱』は、総本山内のしかるべき場所に常時厳護申し上げてある 旨のお言葉がありました」と書かせていた。しかし、未だにその「しかるべき場所」も相承箱の存在を証明する写真一枚も公開されていないし、 裁判の証拠としてその存在を示したこともない。

つまり、日顕が相承を受けた証拠である「日記」も「相承箱」も、その 存在自体が疑わしいのである。ただ、そういう日顕の〃お言葉があった 〃だけである。まさに宗祖が破折した「舌に任せたる言(ことば)」以外の何物でもない。

それでは、逆に日顕が我々の目の前に差し出すことができる証拠は何なのか? それが山崎正友という証人なのである。 (続く)

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