新・改革通信 NO.75 (2007.10.15) 正本堂破壊から九年。日顕宗は、”信徒の真心の供養で建立された建物を平然と破壊する宗教”と永遠に呼ばれる [日蓮正宗改革同盟]

 世紀の殿堂「正本堂」建立から、今年で三十五年になる。正本堂は八百万信徒の真心の供養によって建立された。大聖人は信徒の供養に対して「民のほねをくだける白米・人の血をしぼれるが如くなる・ふるさけを仏・法華経にまいらせ給へる女人の成仏得道・疑うべしや」(御書 一三九〇頁)と仰せであり、供養された方々の栄誉は広布の歴史に永久に輝き続ける。

 ところが、日顕はその「民のほね」「人の血」によって建立された正本堂を、池田名誉会長と創価学会に対する嫉妬から破壊したのである。このような日顕の蛮行は、時が経てば経つほど、その異常さが浮き立ち、宗門にその報いとして重くのしかかってくる。すなわち、日顕宗は”信徒の真心で建立された建物を平然と破壊する恐ろしい宗教だ”という汚名が永遠にのこるからだ。

法華講員の心の奥で、いまだに燻っている
正本堂破壊に対する疑問
 前号で紹介した光久能化の日顕批判は今や、全国の法華講員にまで、広がり、大きな波紋を呼んでいる。光久の「今日の宗門の疲弊を招いたのは学会を破門したことに原因がある」との指摘はその通りであるが、その日顕の狂気を象徴した出来事が「正本堂破壊」である。

 この日顕の「正本堂破壊」により、世界中で多くの壇徒が脱講した。それまで、”宗門事件は宗門と学会の問題”と思っていた壇徒たちが、「正本堂破壊」により、いかに日顕が狂っているか、気づいたからである。脱講した海外の壇徒の中にも正本堂の供養に参加した方が多くいる。言葉に尽くせない苦労をして供養に参加した彼らにとって、正本堂は、荘厳な殿堂を供養した誇りである。その神聖な建物を日顕が破壊したことを知った海外の壇徒は心底驚き、涙を流して嘆き、そして怒りに震えたのである。

 もちろん、日本でも多くの法華講員が脱講したが、まだ脱講してない講員の心の奥でも、いまだに、正本堂破壊という衝撃的な事件は、大きな疑問としてくすぶっている。今回の「光久の乱」はそのような講員の中にある正本堂破壊に対するわだかまりを再燃させるかもしれない。

日顕宗はすべてが学会のモノマネ
 日顕は「祖道の恢復」をスローガンに掲げた。しかし、今の宗門のやっていることは、すべて学会のモノマネである。 「登山会」は戦後の宗門が経済的に行き詰まり、大石寺を観光地化しようと、地元の富士宮市や上野村と具体的なプランを練っていたことを聞きつけた戸田会長が、断じて大石寺を観光地としてはならないとして始めたものである。この戸田会長の提案がなかったら、本山は今ごろ、京都や奈良の他宗の寺院と同じ様な観光地と化していただろう。

 「御講」もそうである。末寺を財政的に援助するために、学会が多くの学会員を参加させたから、行事として定着したのである。その御講で住職たちは御書講義をするが、彼らは学会が出版した「御書」と「御書講義録」を使って講義していた。宗門には御書も講義録もなかったのである。

 中には元教学部長の大村のように池田名誉会長の講義を盗用して、いかにも自分の指導のように話していた不届き者もいるが、ほとんどの住職の講義は学会指導のマネであった。

 早瀬日如は学会を破門にする直前に、当時の大願寺の所化に、自分の持っている学会版の講義録の抜けている巻を調べさせて、わざわざ買いに行かせていた。

 また、学会が出現する以前の旧信徒や墓檀家は、勤行などしていなかった。他宗と同じで、読経は僧侶の専売特許だった。それを改革したのが初代牧口会長である。今でも、墓檀家の中には勤行ができないものが多い。それは本山周辺の旧信徒でも同じである。

 かつて日顕は本山の青年得度の集まりで「本山の檀家は昔は謗法だらけだった。それが学会が出来てから、大分、ましになった」と白状していた。

学会は日顕宗の信徒数の数倍を一年間で折伏
 今の宗門の法華講組織も学会のマネでしかない。ただ違うのは、御書講義や信心指導は僧侶の権限であることである。

彼らは盛んに「七万五千名結集」を叫んでいるが、「結集」という目標も、学会が作った伝統である。

 第一、学会が出現する以前は、信徒はおろか、住職たちも折伏などしていない。信徒は少なく、身延派から大石寺は”田舎の末寺”扱いにされていた。

 「七万五千人結集」という目標自体が、あまりにも低く、今の宗門の極少ぶりをよく顕している。そのくらいの数であれば、学会は地方組織でいとも簡単に出来てしまう。

 今の宗門の信徒数を十万人としても、学会は一年でその数倍もの折伏をしているのだ。まったく比較にならない。

 今の法華講のほとんどが、創価学会出身か、もしくは学会の存在により日蓮仏法に出会って入信した者である。また、学会の寺院寄進がなければ、僧侶になる者もいなかった。すなわち、創価学会の存在がなければ、今の宗門も法華講も存在していない。従って、日顕宗がとんなに頑張っても全部、学会のマネなのである。

 「正本堂破壊」を受け入れている日顕宗僧俗は、自分たちの存在を支えていた根本の学会の恩義を裏切ったのだから、その報いは光久が言うように「疲弊」であり、その先にあるのは「自滅」である。(編集部)

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