日蓮正宗問題研究1 – 法主の謀略『C作戦』
(1)『C作戦』とは何か

 「C作戦」とは、正式には「創価学会分離作戦」といい、日顕法主を中心に宗門中枢で立案・検討された卑劣極まりない一大謀略である。「C作戦」のCとは「CUT(カット)」の頭文字であり、「創価学会をカット(切る)する作戦」の意である。
その目的は、在家信徒組織である創価学会を破壊し、寺院中心の教団、すなわち僧侶優位の体制を再編成することにあった。そして、日顕法主は創価学会員を完全な支配下に置き、僧侶中心の教団の頂点に君臨しようとしたのである。

 

 その野望のために最大の障害となるのは、いうまでもなく池田名誉会長の存在であった。多くの信徒から尊敬され、また、世界中の要人や識者から信頼を得ている池田名誉会長は、本来なら、宗門にとって誇りとすべき信徒の代表であった。しかし、法の権威を拠り所に常に最高位として権勢を誇示したい日顕法主は、この偉大な信徒が逆に目障りとなり、あろうことか池田名誉会長に嫉妬の心を抱き、ついには『C作戦』実行の愚挙に出たのである。

 

 この『C作戦』が実行される経過を、今日まで確認された事実をもとにまとめると、次のようになる。
 平成2年7月16日、東京・文京区西方にある大石寺東京出張所(日顕法主の夫人が住んでおり、日顕法主は東京に来るとここに泊まる)で「西方会議」が行われた。この極秘会議の目的は『C作戦』実行の可否の検討であり、その出席者は、日顕法主、宗門総監・藤本日潤、庶務部長・早瀬義寛、渉外部長・秋元広学、大石寺主任理事・八木信瑩、参議・河辺慈篤、海外部主任・関快道ら7人であった。

 

 この会議の間中、日顕法主は興奮し激しい口調で池田名誉会長を罵り、“池田追放”を叫んだという。しかし、総監の藤本などから慎重論が出て、結論が出ないままとなった。2日後の7月18日には、同じメンバーが大石寺大書院に集まり、“御前会議“が開かれた。この会議において日顕法主は、創価学会破壊の謀略作戦の名称を、「それは『C』だよ」と明かしたという。しかし、当時、宗門は創価学会側から宗門僧侶たちの生活が近年とみに派手になってきていることを指摘されていた。信徒から僧侶の贅沢ぶりを追及されたことにより、宗門中枢は、衣の権威にひれ伏さない創価学会に対し憤懣やるかたないものを感じていたが、創価学会と戦うためには、まず、綱紀自粛をして宗門内の体制を整える必要があるということから、この『C作戦』決行は結果的に延期されることになったのである。また、その年の秋には大石寺開創七百年の一大行事が控えていたことも大きな理由であった。

 

 「C作戦」を延期した日顕法主は、虎視眈々と決行時期を待っていたが、開創七百年を創価学会の尽力により無事に済ませた後、11月16日の池田名誉会長の会合での発言を口実に、「C作戦」実行に出たのである。宗門中枢は創価学会が宗門僧侶を侮蔑していると、宗門内を煽動した。その上で12月27日、創価学会へは何の連絡もせずに、「宗規改正」を理由に池田名誉会長を総講頭の地位より実質的に罷免したのである。

 

 しかし、このような謀略が宗門中枢で検討されていたとは、宗内僧侶にはなんの説明もなく、知る由もなかったのである。故に、末寺住職はかなり困惑し、中には宗門中枢の不当なやり方に不信を持つ者もいた。しかし、日顕法主と宗門中枢は、このような宗内僧侶の意見を一切封殺し、学会からの再三の「対話」の求めも拒否したうえ一方的な処分を次々と発動した。平成3年7月には学会運営の登山会を一方的に廃止し、学会の団結を乱し壇徒作りを進めるよう大号令をかけたのである。そして、遂に平成3年11月28日に創価学会を「破門」にしたのである。



■ミニ・プロフィール
★阿部日顕(あべにっけん)
日蓮正宗第六十七世法主。六十世日開法主を父、尼僧を母に持つ「代々坊主」。僧侶中心主義を理想とする。
★藤本日潤(ふじもとにちじゅん)
前法主日達上人の一番弟子、典型的な官僚。
★早瀬義寛(はやせぎかん)
宗内最大派閥である「早瀬グループ」のリーダー。
秋元広学(あきもとこうがく)
実力も疑問視される中で、若くして部長職に就いた。
河辺慈篤(かわべじとく)
日顕法主とは旧来の知己で、「影の総監」と言われる。
八木信瑩(やぎしんえい)
藤本総監の弟。日顕法主の一番弟子で、忠誠度は高い。
関快道(せきかいどう)
『C作戦』の立案の中心者だったが、失敗の責任を取らされたのか、本年4月、突然海外部主任のポストを辞任した。