新改革通信 第168号 令和5年11月28日 創価学会は出家・在家の両方に通じる「法師」の「大乗教団」〝無関係の団体〟と言いながら創価学会に執着する日蓮正宗

新改革通信 第168号 令和5年11月28日

創価学会は出家在家の両方に通じる「法師」の「大乗教団」
〝無関係の団体〟と言いながら創価学会に執着する日蓮正宗

●〝無関係の団体〟に許可を求める非常識な宗門

 1991年11月28日、日蓮正宗が創価学会に「破門通告書」を送り付けた。宗門はこの「破門」について「創価学会は、日蓮正宗と全く関係の無い団体となりました」と説明している。
 ところが、宗門は創価学会が御本尊の授与を始めると、「法主の許可がない」と言い出した。宗門の信徒であれば、許可は必要であろうが、宗門の言う通り、創価学会は宗門と無関係であるから、宗門の許可など不要である。常識で考えれば分かることだ。
 また、2014年に創価学会が「会則」の「教義条項」を改正した際には、宗門は「ともあれ創価学会は、いわゆる〝しがらみ〟から解放されて、思うがままに自由放逸の活動が許されることになったのであるから」(『「会則」改変の欺瞞を糾す』日蓮正宗教学部)と創価学会の独立性を認めながら、長々と難癖を書き連ねている。
創価学会の御本尊授与や「教義条項」の改正に、いまさら宗門が口を出す権利などない。〝無関係の団体〟と言いながら、何十年も経て創価学会に口出ししてくる日蓮正宗はまるで「ストーカー」まがいの集団である。

●御書に説かれていない、根拠なき邪義で信徒をだまそうとする体質は変わらない

 創価学会の御本尊授与がよほど悔しかったのか、宗門は〝御本尊に開眼が必要だ〟と言い始めた。しかし、戦後の宗門では東京の末寺が有縁の法主の御形木本尊を授与していたが、本山が関わることはなく、開眼の儀式など行っていない。
 そもそも御書には御本尊を開眼することについては全く述べられていない。大聖人は、「法華経の題目は一切経の神(たましい)、一切経の眼目なり」(曽谷殿御返事)と仰せである。御本尊は仏の「眼目」そのものであり、「眼を開く」必要も、「魂を入れる」必要もない。あいもかわらず、御書にもない根拠なき邪義で、信徒を騙そうとしているのだ。

●「破門」以前の創価学会の指導を引用する宗門は、学会に未練があるのか

 いまだに宗門は、破門以前の創価学会の指導を引用して、〝昔はこのように言っていたのに〟と批判してくる。破門以前の創価学会は宗門を外護する立場にあったのだから、宗門を擁護する指導をしていたのは当たり前である。そのように仕向けていたのは宗門であり、学会は逆らえない立場であった。今、宗門のやっていることは、自分の責任で離婚した元夫が〝昔は愛していると言っていたのに〟と、未練たらたら執着しているようなものである。

●宗門が学会に執着する理由──信徒の自立を認めれば、宗門の存在価値はなくなる

 破門をして32年経っても、宗門が創価学会に執着する理由は、一つには学会員を盗み取るためである。一般の人を折伏するよりも、信心を理解している学会員を盗み取るほうが簡単だと考えているのだろう。しかし、実際には大聖人の仏法を正しく学んでいる者が、時代錯誤の僧俗差別が染みついて信徒を見下すような教団などに入ることはない。
 宗門が創価学会に執着するもう一つの理由は、信徒が自立することを許せないからだ。もし、信徒の自立を認めれば〝衣の権威〟が失われ、僧侶の存在価値がなくなってしまう。宗門にとって、信徒は絶対服従の存在でなければならない。僧侶に意見を言うなど、断じて認めるわけにはいかない。だから、宗門から離れた信徒が幸福になることは許せないし、信徒が御本尊授与をしたり、教義を変えることなどあってはならないことだと考えているのだ。

●信心の修行では創価学会員に敵わない宗門の僧侶たち

 大乗仏教では出家と在家は、仏陀となることを目指す「菩薩」として同一視される。在家の菩薩も出家の菩薩と同様の修行をして仏道に向かう、「宗教改革」と呼べる運動であった。
 この大乗の精神が明確に説かれているのが「法華経法師品第10」である。「法師」とはサンスクリット語では「教えを説く者」となり、「如説修行」の人であり、「五種の妙行」(受持、読、誦、解説、書写)を実践する出家・在家である。
実際に宗門の僧侶と学会員の修行に変わりはない。しかし、宗門の僧侶は折伏の実践において学会員に敵わないし、教学においても僧侶より学会員が優秀である。袈裟・衣を着ていても、信心の実践では学会員には及ばないのが実態である。信心では敵わないから、彼らは僧俗差別を持ち出し、出家の優位を主張するが、大聖人の仏法を研鑽している学会員を欺くことはできない。

●勧持品に説かれる「悪比丘」と同じく、「法師」を迫害する宗門の僧侶たち

 今月、創価学会は創立記念日に『創価学会教学要綱』を発刊した。創価学会が日蓮仏法の唯一の正統な教団であることを明確に示すための書とされている。おそらく、創価学会に執着する宗門はまた、難癖をつけてくるであろう。それは「法華経勧持品第13」に説かれる通りである。
 三類の強敵が説かれる「二十行の偈」は、悪心を懐く「比丘等」が法華経を説く者たちを「自ら此の経典を作って世間の人を誑惑す」と言って迫害してくると説く。宗門も創価学会の「御書根本」「大聖人直結」の教義を〝大聖人の仏法ではない〟と批判している。

 宗門の僧侶らは〝信徒の分際で〟と嫉妬の感情で、創価学会のやることをすべて否定しようとするが、学会は単なる信徒の団体ではない。昭和52年1月15日、池田会長(当時)は教学部大会で「仏教史観を語る」と題して記念講演を行い、「法師品」を通して「現代において創価学会は、在家、出家の両方に通ずる役割を果たしている」と語られた。
 まさに、創価学会は、在家、出家の両方に通じる「法師」の「大乗教団(サンガ)」なのである。三宝の僧宝の原義は教団を意味する「サンガ」であるから、師弟の道を貫いた日興上人を模範とする創価学会こそ僧宝である。そのことを受け入れられない宗門は、大乗の精神に反する慢心の「悪比丘」に他ならないことを自ら証明するものである。(以上)

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