新改革通信 第169号 令和6年8月13日 戦後79年 戦争責任を認めない宗門に平和を説く資格はない 戦争の犠牲者に寄り添うことも同苦することもない僧侶は無用
新改革通信 第169号 令和6年8月13日
戦時中、仏教の各宗派は軍部の顔色を窺い、先を争って戦争を唱導した。同様に、日蓮正宗も金銭の寄付、梵鐘・仏具の供出、軍用機の献金を行い、さらには戦争への参加が宗祖の教えに沿うものであると説いて、信徒を戦争に駆り立てた。全ては保身のためであり、この事実は決して歴史から消え去ることはない。
終戦50年を契機に多くの仏教教団が「戦争責任」を認め謝罪を表明しているが、日蓮正宗は未だに「戦争責任」を認めることも謝罪することもない。「戦争責任」を認めないということは、社会を平和に導く仏教者の立場を放棄しているということであり、「平和」を説く資格はない。
●戦後生まれの宗門の僧侶は“戦争に加担した教団”に属し、負の遺産を受け継いでいる者
戦後生まれの僧侶たちは“自分たちには戦争責任はない”と思っているかもしれないが、世間から見れば、“戦争に加担した教団”に属している者であり、負の遺産を受け継いでいる立場になる。彼らが戦争責任を認めて謝罪しない限り、そのレッテルを剥がすことはできない。
昨年、浄土宗の僧侶有志でつくる「浄土宗平和協会」が、宗派として戦争に協力した歴史の調査報告書を公表した。報告書は「戦時下の布教活動」、「軍部との関わり」など6章にわたり、宗派として日中戦争や太平洋戦争を「聖戦」と位置付け、檀信徒に説いたことが分かる資料が提示されている。それを見れば日蓮正宗も同じことをしていることが分かる。
調査を主導した同協会理事長の廣瀬卓爾氏は中國新聞(2023年12月4日付け)の取材に対して次のように語っている。
「反戦を貫かなければ、僧侶の存在理由は失われます」「経典の解釈によって戦争を宗教的に正当化してしまった過去を繰り返してはいけない。報告書にはそんな思いを込めています」
日蓮正宗が頑なに戦争責任を認めないことは、まさに僧侶の存在理由を自ら消し去っていることになる。戦争責任、僧侶の存在理由だけでなく、教義違背も許されない問題である。日蓮正宗は、大聖人の教えを、“戦争を正当化させるために利用した”ことを反省もせず、大聖人の仏法を貶めているのだ。
●大石寺の所化小僧と同じ世代の学生が戦争に動員された「沖縄戦」
日蓮正宗の僧侶たちが、宗門が加担した戦争のむごさを少しでも理解できるように、大石寺の大坊にいる中高生と同じ13歳から19歳の学生が動員されて犠牲となった沖縄戦の歴史を振り返る。
第二次世界大戦末期、日本の中で唯一住民を巻き込んだ沖縄での地上戦が1945年6月23日に終結して、今年で79年を迎えた。この沖縄戦で20万人を超える命が失われたが、一般の犠牲者は約9万4千人といわれている。当時の県民の4人に1人が犠牲になったことになる。
この沖縄戦が始まった頃、日本軍は兵力不足を補うため、中等学校や師範学校などの10代の生徒まで戦場に動員した。その中の「ひめゆり学徒隊」は小説や映画などで紹介されている。
「ひめゆり平和祈念資料館」が作成した資料によると、沖縄の学校の男子学徒が1,674名、女子学徒が457名動員された。そのうち男子学徒868名、女子学徒188名が命を失っている。
悲惨であったのは、終戦前の1945年6月18日から各学校の学徒隊に解散命令が出たが、男子学徒は切り込み隊に参加させられ、女子学徒は米軍が包囲する「鉄の暴風」(無差別に多量の砲弾が撃ち込まれるさまを暴風にたとえたもの)の中に放り出され、死の彷徨をさせられたことだ。
無念の死を遂げた生徒と教師のために「ひめゆりの塔」など、学校単位で慰霊碑が建てられ、常に献花が絶えない。そして1989年、ひめゆり同窓会によって「ひめゆりの塔」の前に「ひめゆり平和祈念資料館」が設立された。証言映像や当時の写真、壕の実物大模型などを通して、「ひめゆり学徒隊」が体験した沖縄戦の実態を伝えている。
●戦争に加担した罪、戦争体験を語り継ぐことが、戦争の抑止力となる
「ひめゆり平和祈念資料館」は今年で開館35年を迎え、これまでに約2400万人が訪れている。資料館で「証言員」として沖縄戦の体験を語ってきた存命の元学徒たちも90代半ばとなり、現館長の普天間朝佳さんは8代目で、初の戦後生まれの館長である。
資料館では2000年代から「体験者が語れなくなる時代」に備え、元学徒たちの証言映像を残すと共にその体験を引き継いで語る職員を「説明員」として採用している。
戦争体験者の高齢化に伴い、全国の多くの自治体で、戦争にまつわる朗読劇の上演の企画や「語り部」の育成などを行っている。戦争の体験を語り継ぐことが、戦争の抑止力となるからだ。
仏教界でも、戦争責任問題をどのように後世に伝えていくか、考察が進んでいる。様々な宗派の僧侶たちが終戦記念日を“教団が戦争に加担した反省の日”と捉え、不戦の誓いを立てている。
●「日蓮正宗の戦争加担は、国民一般の感覚以上に突出していたとはいえない」という詭弁
日蓮正宗は「日蓮正宗の戦争加担は、国民一般の感覚以上に突出していたとはいえない」(1991年、宗門文書)と言い逃れしている。しかし、彼らは法主と宗門僧侶は信徒に対して「指導的立場」にあると主張している。すなわち、国民一般の立場とは違うということだ。そうであれば、宗門は”加害者”である。だからこそ、他の教団は信徒を指導する「僧侶」として、戦争加担を認めて、謝罪しているのだ。
「ひめゆり平和祈念資料館」の展示室は元学徒たちの決意の言葉で終わる。
「私たちは真相を知らずに戦場へ出て行きました。
戦争は命あるあらゆるものを殺すむごいものです。
私たちは一人ひとりの体験をとおして知った戦争の実体を語り続けます」
この“むごい戦争”に宗門は加担した。この言葉を読んで、何も感じない僧侶は民衆の苦しみに同苦することができない無用の長物である。
明年は戦後80年の大きな節目となる。宗門が過去の罪を認めないままでいれば、社会から信用を失い、自分たちの存在意義を失うことを、若手僧侶は覚悟すべきである。(以上)