新改革通信 特集「C作戦」検証(2) 令和8年1月14日 「C作戦」文書の通りに謀略を進めた日顕ら
新改革通信 特集「C作戦」検証(2)
発行:青年僧侶改革同盟
令和8年1月14日
日顕は池田名誉会長を総講頭から罷免し、いよいよ創価学会を解体することが出来ると有頂天であったが、末寺の住職は突然のことに戸惑う者がほとんどだった。臨時宗会に参加した副議長の土居崎慈成でさえ「机の上に置かれていた茶封筒を開けて初めて分かったんだ。その後、説明を受けて賛成した。反対なんかできるか」と後に語っている。
日顕は、宗内をも欺いていたので″「C作戦」は学会の策謀だ″と言い訳を繰り返していたが、日顕の言い訳とは裏腹に宗門の謀略は「C作戦」通りに進められた。
この「C作戦」の存在を初めに裏付けたのは宗内から流出した文書である。当時、宗務院海外部の主任だった関快道が立案し、部下の海外部書記だった福田毅道に命じてワープロで打たせたものとされている。平成3年1月2日、福田毅道がSGI事務局の職員に「私信」をFAX送信した。その「私信」のなかで福田は「昨年7月末に頓挫したC作戦の案文を夜間1人切りでワープロで清書しつつ」と記している。
●池田名誉会長の自宅待機や創価学会の法人の乗っ取りまで計画されていた
まず、「C作戦」文書の大筋を見てみる。
冒頭に作戦の<目的>が次のように書かれている。
この計画作戦の目的とするところは、池田名誉会長を総講頭から解任し、日蓮正宗は創価学会とは無縁の宗教団体であることを一般世間に公表し、創価学会組織の徹底壊滅を図り、もって純粋なる信仰に基づく金甌無欠の組織の編成を目的とする。
この文書には「総講頭からの解任」とあり、池田名誉会長の総講頭解任と創価学会の解体に向けて三段階の作戦が書かれている。
第一段階
(平成2年8月28日、臨時宗会において議決する。)
(筆者注:福田毅道は7月28日を打ち間違えたと後に語っている)
必要になる宗規の改正。[第158条、第223条、第226条、第227条、第228条等]
第二段階
(平成2年8月13日、連絡会議の席上で通告する。同日、宗務院の指示により、全国末寺御講において、三宝の権威の称揚と信徒の三宝帰依の義務を内容とする統一法話の実施)
池田名誉会長の総講頭からの解任ならびに創価学会幹部への通告。
時期は5カ月ずれているが、平成2年12月27日、宗門は第130臨時宗会を開き、池田名誉会長・秋谷会長らの法華講総講頭並びに大講頭の実質罷免を決議した。そして、この作戦にあるように、平成3年1月から全国末寺で「学会は三宝破壊」と中傷を始めた。
そして次に「通告書に盛り込むべき内容(案)」として「できるだけ創価学会が受け入れがたい内容とすることが望ましい」と前置きして、以下のようなことが書かれている。
・池田名誉会長には、法華講総講頭を勇退していただく
・今後、池田大作氏は、名誉会長の称号のみの立場の人となっていただき、自宅にて待機
・創価学会の法人責任役員の過半数を、日蓮正宗管長の指名する僧侶が占める
・学会発行の新聞・雑誌には、今後一切、池田名誉会長に関する記事の掲載禁止
・創価学会の中央会議、本部幹部会等の主要会議には、必ず宗務役職員の出席を願い出る
・海外組織については、宗務院海外部の直接指示に従う
宗門がこの内容を学会に通告することはなかったが、日顕は「C作戦」が上手く運べば、最終的に創価学会の法人の乗っ取りも夢ではないと思っていたに違いない。
●「C作戦」の「第三段階」をそのままを実行した宗門
平成3年以降の宗門の動きは「第三段階」と見事に符合する。分かりやすいように、「C作戦」文書案と〝宗門が実際に行ったこと〟を並べて表記する。
第三段階
(文書案)「緊急時局対策本部」を設置。作戦指示の権限を委譲
(宗門)宗務院「時局協議会」を設置。以後、宗門文書は同会が作成(H3・1・24)
(文書案)海外組織は宗務院海外部の指示に従うよう命じる
(宗門)「海外布教の方針変更」を通告。海外で檀徒作りを始める(H3・3・5)
(文書案)全国紙への広告で大量の学会員が末寺に殺到
(宗門)一般紙に添書登山の広告を掲載(H3・6・5)
(文書案)管長名で「学会は正宗と無関係の団体」と宣言。記者会見を行いテレビ・ラジオで宗門の正当性を訴える
(宗門)「解散勧告書」(H3・11・7)、「破門通告書」(H3・11・28)を創価学会に送付。記者会見を行って「学会は正宗とは無関係」とテレビ・ラジオで宣言
(文書案)寺院に所属する元学会員信徒を組織化し、日本全土に連合会組織を作る
(宗門)脱会者を集め、全国末寺に法華講支部を結成
この「C作戦」は〝創価学会が三宝破壊をしている〟ことが前提となっている。学会の何を根拠にしてこの作戦が作られたのか? この作戦では「総講頭解任」となっているが、なぜ「総講頭罷免」になったのか? 福田はこの作戦が平成2年「7月末に頓挫した」と「私信」に書いているが、その時期に何があったのか? 引き続き検証する。(続く)