新改革通信 特集「C作戦」検証(3) 令和8年1月21日 「河辺メモ」が暴いた二度の秘密会議。「C作戦」は一旦中止に
新改革通信 特集「C作戦」検証(3)
発行:青年僧侶改革同盟
令和8年1月21日
平成3年1月にSGI事務局の職員にFAX送信された福田毅道の「私信」に「昨年7月末に頓挫したC作戦」と書かれていた。平成2年7月に何があったのか。
日顕の指南役とも言われていた河辺慈篤の直筆の「会議メモ」が流出し、平成2年7月に宗門中枢の7人、日顕、河辺、藤本総監、八木主任理事、早瀬庶務部長(現法主)、秋元渉外部長、関快道によって2回にわたり秘密会議が開かれていたことが明らかになった。
この秘密会議は東京と本山で行われたが、学会との連絡会議を挟んでいた。連絡会議は学会側の代表と宗門側の代表で行われ、様々な議案について話し合うために定期的に開催されていた。当時の日程を振り返ると以下の様であった。
7月16日 東京・西片会議(宗門)(注:文京区西片に大石寺出張所があった)
7月17日 東京・常泉寺で連絡会議(学会と宗門)
7月18日 本山で御前会議(宗門)
7月21日 本山で池田名誉会長が日顕と面談(通称:お目通り)
●〝学会が財務を供養と称している〟と、投書を基に追及しようとしていた日顕
「河辺メモ」によると西片会議の直前に日顕が投書4通を河辺らに見せている。手紙には学会が財務のことを「供養」と称していると書かれていたと思われる。
日顕がこのことを問題にしたのは第一次宗門事件で〝在家が供養を受けることが出来ない〟と宗門が決めつけたたからだ。法華経『法師品』には法華経を弘める在家も供養を受ける資格があると説かれているが、日顕は「供養」という言葉を在家が使うことが許せなかった。宗門に逆らうのは三宝破壊の大罪ということであろう。
日顕はその投書を使って、連絡会議で学会首脳を追及し、さらに池田名誉会長との面談で〝責任をとって総講頭を辞めてもらう〟と通告するつもりであった。
●綱紀を糺さず、伝聞での追及は問題だと、西片会議でトーンダウン
「河辺メモ」によると会議の前から「話題は、池田追放の方向で進められ、猊下、八木、関共に“池田追放”で強硬意見」であった。
その後、連絡会議の打ち合わせから戻ったメンバーと会議が始まる。「河辺メモ」に翌日の「連絡会議での対応」として2点書かれている。
一つは「宣徳寺、是正寺問題、その他、宗門の問題を忌憚なく云わしてもらうと学会が云ってきているので、その話は聞くだけ聞く」
二つ目は「財務の件について、信徒からの投書を証拠に追及する。池田追放の線を出す」
この宣徳寺問題とは、世田谷・宣徳寺増改築にあたり、大阪・調御寺の高野法雄が2億5千万円の金を融資したことに触れ、宣徳寺の秋元広学と「娘なら担保になるが、奥さんではダメだ」などと言い合った様子を話して参加者の顰蹙を買ったことである。
是生寺問題は石川県・是生寺の新築落慶法要で、住職の坂部種道が「当日の御供養はすべて猊下(法主)が持っていくので、寺への供養は別に包んでくれ」と学会の幹部に話し、まるで供養の二重取りだと大問題になったことである。
この二つの寺院問題は当時の宗門の金満体質と風紀が乱れていたことを象徴している。
ゆえに河辺は「こんな事を現状の宗門でやったら両刃の剣となる。やるなら、先づ宗門の綱紀を糾し、その上でやるべきだ」と言い、総監の藤本は「投書は伝聞(本人に電話で問い合わせ伝聞と分る)であるので、根拠に問題がある」と諫め、参加者全員のトーンが下がったことが記録されている。
●本山の会議で日顕は他のメンバーを説得できず、「C作戦」は中止に
西片会議の二日後、本山で開かれた会議について「河辺メモ」には「御前会議の流れ」として以下のように書かれている。
早瀬部長よりの連絡会議報告の後、池田追放の線で進められ、
河辺=それでは、この作戦はG作戦だ。
猊下=それは違う、Cだよ。
ともかく21日の池田の目通り山だ(ママ)
もう少し池田の証拠を集めて、C作戦の時を待つ。
ここで今回の作戦のことを河辺は学会の頭文字をとって「G作戦」と述べたが、すかさず日顕が「Cだよ」と言っている。「C作戦」は日顕が名付けたという動かぬ証拠であるが、命名以上に特筆すべきことは、日顕が執拗にC作戦の遂行を企んでいたという事実である。
この時点では、まだ日顕は7月21日の池田名誉会長との面談が「山だ」と言っており、池田名誉会長の宗門批判の証拠を集めようとしていた。しかし、河辺の意見で流れが変わる。
河辺=C作戦というが、いずれはやらなくてはならない問題としても、今この問題をやる事は両刃の剣を持つ事になる。やるとしても大事な事は、僧侶の綱紀自粛が必要。この作戦を実行しても、返す刀で、この綱紀問題で学会にやられる。
当時、全国各地の住職が夜遊び、ゴルフ・パチンコに興じている姿を会員に目撃されて学会本部に苦情が集まっていた。おそらく河辺もそのことを知っていたのであろう。そしてこの河辺の意見に総監の藤本も同調する。
藤本=私も河辺の云う通りと思う。今この問題をやれば両刃の剣となる。
河辺=学会相手に戦う時は、日刊の聖教を相手に戦う事になる。宗門は此れに対抗するものはない。
猊下=皆んなは、この河辺の意見に対しどう思う。
=全員無言で河辺に賛成の表顔=
早瀬=私も河辺の意見の方がいいと思う。
結局、「C作戦」を一時中止して8月末の「教師指導会」で綱紀自粛を打ち出すことが合意された。しかし、最後まで「池田名誉会長追放」を叫んでいた日顕の野望はこれで潰えたわけではなかった。如何に日顕が宗内を欺きながら謀略を進めたか、引き続き検証する。(続く)