新改革通信 特集「C作戦」検証(8) 令和8年5月11日 陰謀を働きながら遊興を繰り返していた日顕
新改革通信 特集「C作戦」検証(8)
発行:青年僧侶改革同盟
令和8年5月11日
学会側は便乗値上げの批判から宗門を守るため、あえて異を唱えた。この時、しぶしぶ取り下げた日顕は周りの僧侶に「いよいよ学会が牙をむいてきた」とそしっている。
そして平成2年3月、宗門は連絡会議で4月1日より塔婆・永代回向・納骨保管料等の冥加料を倍にすると学会に一方的に通知した。この性急な変更に矢面に立った末寺の受付は混乱した。
この平成2年に日顕は「C作戦」実行に向けて動き出すが、陰で「陰謀」を働きながら、同時に破廉恥にも「遊興」を繰り返していた。その実態を並べてみる。
(◆は「C作戦」関連事項)
◆3月5日 池田名誉会長との面談で、日顕が海外指導から帰国直後の池田名誉会長に「丑寅勤行の参加者が少ない」「立川寺院の建設が遅れている」と発言。
3月7日 滋賀県・啓道寺入仏式の前日、地元の料亭で、芸者を呼んで宴会。
◆3月13日 連絡会議で宗門が4月より塔婆・永代回向・納骨保管料等の冥加料を2倍にすると一方的に通知。
4月13日 伊豆長岡の高級旅館で宴会。日顕夫婦はじめ20数人でカラオケ大会。
5月10日 豊橋・勧持院入仏式の終了後、浜松で110名が一泊して大宴会、日顕に浜松で有名な芸者が付く。
5月15日 伊豆長岡の高級旅館で宴会。日顕家族、早瀬一族、藤本などが夫婦で出席。
◆5月頃 本山の御仲居・駒井の机の上に池田名誉会長のスピーチやテープが置いてある。
6月20日 高野日海能化昇進祝いと称して都内の一流ホテルで宴会。出席者94名。
7月11日 石川・是生寺新築落成法要。終了後、地元の温泉で宴会。
◆7月上旬 日顕が関、福田、宗務院役僧らと会議。この会議に弁護士も参加。
◆7月16日 西片会議で翌日の連絡協議会での対応を協議。日顕は「池田追放」「財務中止」を激しい口調で強調。
◆7月17日 連絡協議会で学会は宗門の綱紀自粛を要望。3月の池田名誉会長との面談で日顕が発言した寺院の工事や行事の参加者などの実務に関することは〝連絡会議で話し合うべき〟と提案。
◆7月18日 御前会議で池田名誉会長追放の線で話が進む。日顕自ら池田名誉会長追放の作戦を「C(作戦)だよ」と命名。結局、宗内の綱紀自粛が先と判断し、「C作戦」は証拠を集めて時を待つことにする、との結論になる。
◆7月21日 池田名誉会長との面談で日顕は連絡協議会での秋谷会長の発言を取り上げて、秋谷会長に対し「法主の発言を封じた」「軽慢謗法だ!」、池田名誉会長には「懲罰にかけるから」と暴言。
7月22日 日顕、阿部信彰、早瀬義純の三家族10人、伊豆長岡の高級旅館で豪遊。
◆8月29日 教師指導会で「綱紀自粛」を発表。
8月30日 教師講習会閉講式終了後、伊豆長岡の高級旅館で豪遊。
9月2日 大石寺開創700年慶祝記念文化祭の終了後、伊豆長岡の高級旅館で豪遊。
◆11月14日 連絡会議で藤本総監が「都内に一か寺もできていない。理由は何か」と学会を問い詰める。
◆11月20日 池田名誉会長との面談で日顕は「正信会が血脈を否定してまで法主を批判した原因は学会にある」「最近の学会は、柔軟になった。折伏、破折をしなくなった。聖教新聞からも、破折、折伏のことが消えた」と発言。
11月21日 大石寺開創700年慶讃大法要の終了後、伊豆長岡の高級旅館で豪遊。
◆12月12日 「お尋ね」文書を伊豆長岡の高級旅館で謀議。
◆12月13日 連絡協議会で宗門が学会に「お尋ね」文書を出すが、学会は受け取らず、話し合いを要望。
◆12月16日 宗務院は総監・藤本の名で「お尋ね」文書を学会に送付。
12月18日 沖縄・光明寺入仏式の前日、沖縄の高級ホテルで豪遊。
◆12月23日 学会より、宗門・総監宛に「お伺い」文書を送付。宗門の権威主義的体質を指摘し、話し合いによる解決を要望。
◆12月25日 日顕、高橋公純・段勲・押木二郎ら5名と学会破壊の密談。日顕は、「学会員のうち20万が山につけばよい」と発言。
◆12月27日 臨時宗会で池田名誉会長・秋谷会長らの法華講総講頭並びに大講頭の実質罷免。宗規改正による資格喪失とマスコミに説明。
この日顕の言動を見ると、以下のことが明らかになる
・一貫して日顕が「C作戦」を主導していた
・根拠のない情報を利用して、正当な話し合いでなく、謀略で信徒を貶めた
・一宗全体が金まみれになって僧侶が堕落し、その先頭に豪遊三昧している日顕がいた
・その宗門の根底には問答無用の僧侶至上主義があり、信徒の供養に感謝するどころか、「足らない」と怒り出す傲慢さが染みついている
・謀略と放蕩を繰り返す日顕の下に悪人が結集していった
大聖人の時代、祈雨の勝負に負けた良観が諸寺院と謀議をこらし、行敏という僧に命じて大聖人を訴える訴状を幕府に提出した。それは大聖人御自身が「日蓮が私の言にあらず」「このこと、慥かなる証人を指し出だして申すべし」と述べられている通り、根拠なき妄説妄語による訴状であった。
また、日興上人が富士方面の弘教をされ、滝泉寺の僧や同郷の農民が陸続と入信し、驚いた滝泉寺の院主代・行智は役人と結託して農民信徒20人を捕らえ、事実に反する訴状を作成した。この訴状もまた、「跡形も無き虚誕なり」と言われるまでに虚偽を並べ続け、「謀案を構えて種々の不実を申し付くる」謀略によって作られた「不実の濫訴」そのものであった。
この悪侶たちの陰謀、不実の訴えを起こして正義の人を陥れる姿と、謀略で池田名誉会長と学会を排除しようとする日顕はあまりにも酷似していまいか。経文や御書に説かれる悪侶の姿を彷彿とさせる。贅の限りを尽くす一方で謀略に明け暮れる。その姿の中にC作戦の本質がある。(続く)