新改革通信 特集「C作戦」検証(12) 令和8年7月10日 総講頭罷免の理由の後付けのため、宗門史を改ざんした日顕(上)

新改革通信 特集「C作戦」検証(12)
発行:青年僧侶改革同盟
令和8年7月10日

総講頭罷免の理由の後付けのため
宗門史を改ざんした日顕(上)
 日顕らは池田名誉会長の総講頭の地位を罷免しようとして、あくまでそれは〝「宗規変更」のため〟と詭弁を弄した。なぜなら、本来、懲戒処分を行うには客観的に合理的な理由が必要であり、一般社会の常識や価値観に照らして妥当でなければならない。しかし、日顕らは「C作戦」を遂行するため、まず「処分ありき」で合理的な理由なく、〝総講頭罷免〟を断行した。
 宗門はその直前に池田名誉会長のスピーチについての「お尋ね」文書を学会に送り付けたが、日ならずして稚拙な言いがかりにすぎない内容であることが露呈し、平成3年1月1日付けの「『お尋ね』に対する回答」の書面で、テープの反訳の間違いが学会から具体的に指摘されるなど、当初の「お尋ね」の名目では名誉会長を罷免することができないことは周知の事実となった。
 しかも、学会は、宗門と学会の両者の文書をすべて聖教新聞紙上に掲載し、会員に明らかにした。一方で末寺の住職らは情報不足から、直接学会員から問い合わせされても答えられない場面が続出した。そのさなかで、平成3年1月6日、全国から本山に集って開催される教師指導会で、日顕がどのように語るかが、宗内で最大に注目されるようになったのである。

追い詰められた日顕が突然、20年前の池田名誉会長の発言を持ち出す

 しかし「お尋ね」の内容が崩壊し、当初の目論見が失敗して行き詰まった日顕は〝総講頭罷免〟を正当化するため、平成3年1月6日、続く10日に開催された教師指導会で、突然正本堂に関する池田名誉会長の過去の発言を問題視した。
 あろうことか日顕は、名誉会長が昭和43年10月の正本堂着工大法要における挨拶での発言を、宗門事件の原因だとして取り上げたのである。すなわち、この時、名誉会長が「三大秘法抄」の戒壇の文を引いて「法華本門の戒壇たる正本堂」と、一信徒の立場で正本堂を日蓮大聖人御遺命の戒壇と断定したことが大きな問題であり、宗内の誰もが言っていなかったことを一信徒の身で断言していくその「慢心」が、宗門と学会の今回の問題が起こった根源であり、名誉会長は反省し謝罪しなければならないと言い出した。
 信じられないことだが20年以上前の名誉会長の発言が、今回の問題の源であるというのだ。しかし、これは史実を完全に無視したものである。それまで宗内で誰も述べていないどころか、最初に述べたのは昭和40年2月16日の第1回正本堂建設委員会において日達法主であったことは動かすことのできない史実である。当然のことながら、日顕の論法は完全に破綻する。しかし、それを言いつくろうとするあまり、ここからまた迷走が始まるのである。そして、この捏造こそが宗史改ざんの大罪を刻むことになるのだ。ここでは、日顕の最大の致命傷となった宗史破壊の経緯を順に説明したい。

「本門の戒壇」建立を大聖人の御遺命としてきた大石寺

 最初に、日蓮正宗における「本門の戒壇」について歴史的経緯を追いたい。
 「戒壇」とは、まず、出家者に戒律を授けるための場所を指す。538年に日本に仏教が伝わったとされるが、当初は戒律も定まらず、税の免除を目的に出家する者が増えていった。そのため、唐より招かれた鑑真は754年に東大寺に臨時の戒壇を築き、聖武天皇をはじめ430人に授戒を行なった。これが日本での最初の授戒となる。翌年、戒壇院が出来て、この戒壇で受戒したものだけが僧として認められることとなった。その後、822年に天台宗延暦寺に大乗戒壇が建立された。
 宗門では延暦寺の大乗戒壇を「迹門の戒壇」と呼び、日蓮大聖人の「三大秘法」の一つである「本門の戒壇」の建立こそが大聖人の御遺命であるとしてきた。

日達法主は〝正本堂が広布の暁に本門寺の戒壇となる意義をもつ建物である〟と明言

「正本堂」は昭和47年10月、当時の800万信徒から寄せられた約355億円にも及ぶ供養によって建立された。その意義について、日達法主は同年4月28日の「訓諭」で「正本堂は、一期弘法付嘱書並びに三大秘法抄の意義を含む現時における事の戒壇なり。即ち正本堂は広宣流布の暁に本門寺の戒壇たるべき大殿堂なり」と宗内外に宣言された。
 そして、それに遡る7年前、前述のように昭和40年2月の第1回正本堂建設委員会で、日達法主は「一期弘法抄」を引いて〝正本堂が広布の暁に本門寺の戒壇となる意義をもつ建物である〟と初めて宣言した。それ以降、宗門では「正本堂建立は実質的な戒壇建立」という考えが定着する。何よりも日達法主が、一貫してその意義を強調していたのである。そうした事例は枚挙に暇無いが、ここでは二つ紹介する。
 日達法主 昭和40年10月17日 創価学会本部幹部会
「ただいまお聞きのとおり、だれも想像しなかったほどの多額の御供養をお受けいたしました。広宣流布達成のための、大折伏の大将である池田会長が、宗祖日蓮大聖人の『富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり』のご遺言にまかせ、戒壇の大御本尊様安置の正本堂建立を発願せられ、学会の皆さんに建立御供養を発願せられて、このりっぱなる成果となったのでございます」
 日達法主 昭和42年9月12日 正因寺にて
「今年その正本堂の発願式が10月12日に行なわれる次第となっておるのでございます。そこにいたって、初めて一切衆生成仏できる、その成仏の根本である本門の戒壇が建立せられるのでございます」

日顕は池田名誉会長の慢心を捏造したが、宗門の機関誌が訂正

 池田名誉会長の発言は、これらの日達法主の後になされたものに過ぎない。日顕は総講頭罷免の理由を作るため、名誉会長の発言が慢心であったとしたのである。もちろん、この日顕の発言は捏造であり、『大日蓮』(平成3年2月号)に二つの訂正が掲載された。
一つは、「昭和43年10月以前に、正本堂につき『三大秘法抄』『一期弘法抄』の御文意を挙げての日達上人のお言葉があったので訂正する」、
もう一つは、「正本堂を三大秘法抄等の御遺命の戒壇と関連させた発言をしたのは、名誉会長が『一番の元』であるとしたことを訂正する」というものであった。

 法主の論拠の根幹が宗門の機関誌で訂正された前代未聞の出来事である。しかし、この訂正に象徴されるように、日顕は、歴史の改ざんに奔走していくことになるのだ。(続く)

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