新・改革通信 NO.34 (2005.12.08)歴史は真実を語る(3)

歴史は真実を語る。日顕らは法主弾劾者の末裔(3)
山寺に閉じこもり、所化の興学布教の道を閉じた日顕

日柱法主は、大学頭を選出しないだけで、当時の宗会から責められたが、日顕の強欲さに比べれば小さな問題に見える。日顕は「宗規」を変更して、〃自分が辞めると言うまでは退座しなくても良い〃というようにしてしまった。こんな暴挙は宗門の歴史にない。

そこまでして猊座にしがみついてきた日顕であるが、腰を悪くして本尊書写もままならない状態になり、ついに〃退座〃をほのめかした。我欲に執着して罰を現じた、因果応報の姿である。

「誓約書」を続けて見てみる。

二、興学布教ニ無方針ナル事。

当時の宗会は日柱法主が興学布教に無方針であったことを批判している。たしかに布教は宗教の命である。それに対して無方針であれば、責められて当然であろう。

〃法主が間違いを犯せば、それを指摘する〃 これが当時の僧侶の常識であったのだ。

日顕の場合はどうか。社会的に認められない大学科を設立し、無理やりに所化を入学させている。興学布教を自分の名誉欲のために利用しているのだ。しかも、大学科を維持させるために毎年、数十名の得度者を採り、住職になれない無任所を大量生産させている。

日顕は〃大学科の設立は快挙である〃と一人で悦に入っているが、「大卒」の資格を得られない所化は憐れとしか言えない。授業を教えている者たちも、正式な資格を持った者たちではない。明確な基準もなく、あいまいに選出された住職が自己流で法門を教えているというのが実態である。所詮、私塾の域を出ない、日顕の自己満足の機関なのである。

そのうえ、日顕は教師たちが一般大学の大学院に進むことに対しても〃意味がない〃という態度をとっている。これは日顕の〃学者コンプレックス〃から来ているものであろう。立正大学の講師の経歴を持つ日亨法主に対して、日顕が常に批判的な理由も、このコンプレックスから見るとよく分かる。博士の資格を持つ改革同盟の松岡氏に対して、日顕が執拗に批判を繰り返していることも同じ理由であろう。

日顕は、宗門という閉鎖された小さな世界でしか通用しない制度を造ってしまった。日顕自身も山寺に閉じこもって王様を気取っているが、未来ある所化たちまでがその犠牲となり、正規の大学への進学の道だけではなく、社会へ開く布教の道までが閉ざされてしまったのである。(続く)

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