新・改革通信 NO.39 (2005.12.21)退座しても日顕が一凶

現罰で本尊書写ができなくなった日顕は最早、無用の長物。
しかし、逃座しても日顕が一凶であることは変わらない。
破和合僧の五逆を犯し、広宣流布の道を阻もうとした日顕はその報いを受け、腰痛により本尊書写ができなくなった。日顕チルドレンの破折班が〃日顕は法魂を受け継いでいる御尊体〃などと邪義を振り回しているが、〃法魂〃の力もむなしく、日顕は本尊書写の能力を失い、無用の長物と化した。この現証こそ、大聖人からの叱責である。

大聖人の叱責は日顕の正法破壊の片棒を担いだ元海外部長の尾林にも及んだ。十一月二十七日の支部総登山で尾林は、
〃今年の一月頃から文字が書けなくなり、四月から腰痛が始まった。さらに七月に声帯に腫瘍ができ、原因や治療法は今も分からない。「いずれ、声を失う」という残酷な宣言がありました〃
と自ら罰の姿を白状した。

それでは、日顕宗二世となった早瀬はどうか。大学時代に拳法と喧嘩で鍛えた体力も落ち、七十歳とは思えない老けぶりである。早瀬が老け込んだ一番の理由は、弟たちの相次ぐ死去によるショックであると言われている。

まず、平成九年五月十一日に、次男の義雄が急死。その二年半後の平成十一年十二月に四男の義純が亡くなった。義雄は宗会議長として日顕体制を支えていた。義純は日顕の娘を妻にして阿部ファミリーに加わった。二人とも、日顕に取り入ったために、奪命されてしまったような最後である。

早瀬日如・日顕宗二世は長く持たないのではないかと言う者がいる。なぜなら、早瀬が日顕から受け継いだものは「破和合、三宝破壊、正本堂破壊」の罪だからだ。それだけでない。財政を食い潰す大学科の問題や援助寺院の問題など、山積みされた課題を早瀬に押し付けて日顕は逃座した。

さらに深刻な問題として、日顕の「大御本尊偽物発言」の件も未だに燻り続けている。「川辺メモ」と同じように日顕の「大御本尊偽物発言」の顛末が書かれている「亨師談聴聞記」がどこかに流出している可能性があるからだ。

忘れてはならない日顕の置き土産がもうひとつある。山崎正友だ。いつ山崎が〃やはり日顕は相承を受けていない〃と言い出して、ゆすってくるかわからない。

すべての問題が早瀬の肩にのしかかって来る。早瀬は果たしてこれらの重圧に耐えられるのか。

日顕という「一凶」を取り除かない限り、早瀬は毎日、悪夢を見るような生活を送らねばならない。その地獄から逃れる道はただ一つだ。

「彼の万祈を修せんよりは此の一凶を禁ぜんには」―日顕宗二世就任の祝いとして、同盟からこの御金言を早瀬に送ろう。(編集部)

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