新・改革通信 NO.45 (2006.01.18) 妄想に取り憑かれた日顕に食いつぶされる宗門(2)

早瀬の絶望を利用して、法器会潰しを始めた日顕
日顕は阿部一族の存続のために、早瀬日如の絶望を巧みに利用した。

早瀬の絶望は二つある。まず、自分の息子が無能であるということだ。長男の道寧が法器会をまとめる能力がないことは誰の目にも明らかだ。次男の正寛は還俗してしまった。弟の義雄の息子の道義は札付きのワルである。末の弟の義純には娘しかいない。つまり、法器会をまとめていく者が早瀬家の次の世代には誰もいないということだ。

唯一の希望は日如の娘・千勢子の婿である國島道保である。そのことは日顕も分かっている。だから、國島をわざわざ信彰の後任として府中・大修寺に入れた。日顕は早瀬に恩を売ったのだ。

これは日顕が東京に自分の弟子を集めるための布石でもあった。八木を筆頭に、石井信量、渉外部長の秋元など、日顕の弟子を東京に集めた。日顕は本山だけでなく、有力寺院のある東京を押さえたことになる。恩を売られた早瀬は何も言えない。
早瀬の二つ目の絶望は義雄・義純の二人の弟の死である。単なる身内の死ということではない。

それは、日応法主が開いた法道院を継ぐ者がいなくなったことを意味する。妙国寺に信彰が入った時から、早瀬はいずれ法道院も日顕に取られるかもしれないと感じていたに違いない。

そして、早瀬は法主になったが、同時に法道院を失った。これは法器会の存続に関わる重大問題である。法器会は法道院を拠点としていた。そこに日顕は自分の弟子の八木を入れた。これは実質的に法器会の活動を停止させたことになる。法器会潰しの序盤である。

一月三日に早速、日顕は、本山で自分の弟子の集まりである「徒弟会」を開いた。早瀬に対する露骨な嫌がらせである。日顕だからできる意地の悪い行為だ。そもそも、日顕は一昨年の一月、「私は今日に至るまで『会』というものを指導して、作っておりません」「徒党を組むようなことを一切忘れてやっていきたい」と、徒党や派閥を作らないことを宣言していた。日顕は簡単にウソをつく。

日顕は早瀬に圧力をかけ、陰で宗門を操ろうとしている。しかし、ある住職は元旦早々、「もし早瀬が日顕と路線の違う指南をしたら、現法主である早瀬に従うべきだ」という発言をしている。

日顕がこれ以上動けば、宗門は必ず混乱する。しかし、「阿部一族の宗門支配」という妄想に取り憑かれている日顕は宗門を割ってでも、阿部家を守るつもりに違いない。(続く)

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