新・改革通信 NO.55 (2006.06.16) 「伽藍仏教」と化した日顕宗の終焉(三)

日顕こそ自分の資産を供養として差し出すべきである
今回の「特別御供養」にあたり、宗門は末寺に寺院の資産の五パーセントを差し出せと言っている。何も知らない信徒は「寺でも供養するのだから、我々信徒こそ」と思うかもしれないが、寺の資産とは信徒の供養を貯蓄したものである。住職の個人資産とはまったく別である。
つまり、住職は自身や家族の懐を痛めたり財産を差し出したりする必要は全くない。信徒が寺に供養した供養金から、住職らに給与が支払われる。その残りが寺の資産となる。その五パーセントを供養しろということに過ぎない。

これは、本山でも同じことだ。どんなに本山が貧乏になっても、日顕は個人の資産があるから、悠々自適な生活をおくることができる。この日顕の資産が巨額なものであることはたしかであるが、実態はわからない。なぜなら、帳簿についていない金が多いからだ。
信徒が内事部を通してする供養は「受書」が出て、本山の資産となる。しかし、法主個人にする供養は別。たとえば、住職が法主に供養する場合、供養を出す寺側は帳簿につけない。つけてしまうと、受け取る側の法主も帳簿につけなければならなくなるからだ。〃法主への供養は帳簿につけずに出す〃というのが宗門の慣例になっている。満山供養になると、数回でベンツが買えると言われるくらい、多額な供養が集まるが、それもほとんどそういう類の供養である。
日顕が登座したころ、〃猊座につくとどんどん金が入ってくる〃と言ったことは有名であるが、目通りの際の供養も日顕の自由になる金になる。特に、寺の新築や改築、墓の造営に関しては法主の許可が必要であり、末寺の住職は許可をもらうために日顕に多額の供養をしていた。数百万円は当たり前で、中にはダンボール箱に一億円を詰めて持参した者もいた。これらの金を管理していたのが日顕の女房の弟である。

また末寺に対し「資産の五パーセントを出せ!」というのは本来、都市部の貯蓄のある大寺院をターゲットにした施策である。例えば二億円の資産がある都会の寺院は、一千万円の供養をすることになる。そのような負担に耐えられない、二百に及ぶ援助寺院のことは、本山側の念頭にはない。

そもそも「カネのあるところから出せ!」という発想なら、現在宗門で一番、金を持っているのは日顕である。日顕は二十六年もの間、巨額の供養を受け取
ってきた上、隠居してもまだ供養をもらっている。日顕こそ、個人の資産を明らかにして、それを供養すべきである。(続く)

前へ<< >>次へ

>>新・改革通信 目次へ
>>トップページへ