新・改革通信 NO.56 (2006.06.17) 「伽藍仏教」と化した日顕宗の終焉(四)

法教院を封鎖し、世田谷と松涛の豪邸を売るのが先決だ
信徒を教導する力がない宗門は、建物で信徒の目をくらまし、果断なく供養させることで信徒をつなぎとめようとしている。彼らにとっては、信徒の負担など、どうでもよいことなのだ。
もし、彼らが本当に信徒のことを考えているならば、真っ先に浪費の元である「法教院」を封鎖すべきである。わずか、数十名の所化のために、毎月、莫大な費用がかかっている。それだけではない。「法教院」を維持するために、どんなに無任所教師が増えても、毎年、得度者を募らなければならない。正法流布のためではなく、「法教院」という〃私塾〃を作った日顕の面子のために、得度者を募っているのだ。本末転等である。
もし、「法教院」を封鎖しても、所化は以前のように一般の大学に通えば良い。そうすれば、受験という目標が出来て、大坊の学生の学力ももう少し上がるに違いない。宗門独自の教育が必要というならば、大学を卒業した後に宗門の教学を教えればよい。
おそらく早瀬日如も内心では、「法教院」の必要性を感じていないだろう。それどころか、一日も早く、「法教院」を廃校にしたいと考えているに違いない。しかし、日顕、八木、信彰がそれを許さないことを日如は分かっているから、黙っているだけだ。

今回の立正安国論七百五十年記念の事業費は、百十四億円になる。健全な団体であれば、まずは、団体内の無駄な経費から削ることを考える。そうした視点から、宗内を見回せば、「法教院」の次に無駄なものは、松涛と世田谷(等々力)の豪邸。〃大聖人の弟子〃というならば、法主がこんな豪邸に住む必要などない。もっと簡素な建物にするべきである。
豪邸を売却すべき理由は他にもある。今回の記念事業の中に本山の塔中坊の改修も含まれている。その費用だけでも数十億円に上る。それもすべて信徒の供養で賄おうというのは、あまりにも虫が良すぎる。
坊主の寝床を改修するのだから、坊主の寝床を売って、そのお金を当てればいいではないか。その方が筋の通る話である。三十億円以上の費用がかかった松涛の豪邸と、購入と改築で十数億円使った世田谷の豪邸を売却すれば、十分間に合うはずだ。
日顕が他界すれば、世田谷の豪邸は必要なくなる。どうせ、近い将来いらなくなるのだから、今のうちに売ってしまえばよい。日顕は息子の信彰のいる妙国寺に住めばいいではないか。(続く)

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