新・改革通信 NO.57 (2006.06.18) 「伽藍仏教」と化した日顕宗の終焉(五)

“他宗に比べて宗門は規模が小さい”と嘆く日如
日如は日顕宗二世として、日顕のやってきたことをそのまま踏襲している。隠居した日顕とその弟子の八木、そして息子の信彰が目を光らせているから、不本意であっても、日顕の意向を優先するポーズが不可欠なのである。
それでも日如が日顕と違う点が一つある。それは宗門と他宗門を比べていることだ。四月十九日、本山で全国正副支院長会議が行われたが、そこで話題になったことは「身延三百八十万人、念仏一、九〇〇万人と他宗に比べ宗門は規模が小さい」ということだった。また、寺族同心会での目通りで日如は「同心会のようなものは他宗にはないものです」と、やはり他宗門との違いを述べている。

それに比べて日顕は自分の派閥のことしか頭にない。日顕は寺族同心会のあと、徒弟会を大書院で行い、”徒弟会が書院一杯にならなかったな”と愚痴をこぼした。そもそも、日顕は一昨年の一月「私は今日に至るまで『会』というものを指導して、作っておりません」「徒党を組むようなことを一切忘れてやっていきたい」と、徒党や派閥を作らないことを宣言していたではないか。しかし、実際には日達法主の弟子の集まりである「妙観会」や早瀬系の「法器会」をけん制するために「徒弟会」を強化しようとしている。
また、日顕の息子の信彰は、同心会の最後に長々と注意事項を述べた。内容は”外部での講演とか、本の出版等については、教学部に連絡せよ。寺の改装については、本山の了解を得てからにせよ。宗務院から徹底されたことを遵守せよ”などという、内部の締め付けである。信彰も他宗門のことなど眼中になく、八木・信彰体制の強化、すなわち次期法主への基礎固めに必死である。

こうした日顕親子に比べれば、まだ日如の方が客観的に宗門を見ていると言えるだろう。いくら、”我々こそが正統だ”、”血脈は大石寺にしかない”と喚いても、他宗門に相手にされない弱小教団では単なる「井の中の蛙」でしかない。
ただ、だからといって、日如がまともな法主とは言えない。日如が客観的に宗門も見ることができるのは、日如がすでに、あきらめの境地だからだ。
つまり、日如には後継者がいない。だから、”どうせ、俺はつなぎの法主でしかない”と現実を悟っているのだ。もし、日如に後継者がいれば、日如も日顕親子に対抗するため、「法器会」の強化に奔走していたことであろう。(続く)

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