新・改革通信 NO.65 (2007.01.02) 法主は逃げ腰。坊主も信徒も責任のなすりあい

日顕宗の「敗北」と「内紛」の年が幕開け
 いよいよ、平成十九年が明けた。創価学会は益々、その勢いを増し、池田名誉会長とその同志が世界広宣流布を目指し、「前進・勝利」の戦いを開始した。宗門は学会の真似をして、本年を「行動の年」としているが、宗門の最高責任者である早瀬自身が平成二十一年の六十万結集に対して逃げ腰であり、「行動」する前から「敗北」状態である。

 日顕は自ら「信徒倍増」と目標を掲げておきながら、昨年の初登山で弟子を集めた「徒弟会」の席上、「ついつい言ってしまったけれど、(六十万は)できるかな?」と口を滑らした。こんな年寄りの無責任な思い付きに宗門が振り回されているのだから、法華講員が哀れである。

 早瀬も日顕の戯言につき合わされるのは堪らないと思ったのだろう。「信徒倍増」を「日顕上人より承った御命題」と言い、昨年十一月二十七日の正副支院長会では「倍増とはいったが六十万とは言ってない」と、”自分が言ったことではない。日顕の思い付きから始まったことだ”と日顕に責任をなすりつけている。そして、二十一年七月十五、十六日に七万五千の結集をすると突然発表した。所詮六十万は無理だが、それに替わる発表をしなければならないことから、七万五千という苦肉の策が生まれた。

 「大将軍よはければしたがうものもかひなし」である。宗門は昨年一年間、折伏も進まず、反対に日顕直属の八木・信彰コンビが末寺の住職を追い込んで、二人の住職が辞任している。

 しかし、偉そうに指導している信彰自身が辞任してもおかしくない失態を演じている。信彰は、昨年九月一日付けの「大白法」の座談会で「折伏した数に相応した世帯数の増加ができていない現状」と、まるで他人事のように話していたが、それは信彰の寺であった。昨年八月の御講で、信彰は「これまでの三年間、折伏された方々が一体どこへ行ってしまったのか、かなり深刻なんですよ。このことを御法主上人猊下に報告したら」「(早瀬の言葉を真似して)いい加減な折伏してるからそうなるんだっ!」と叱られたと、白状している。信彰は一昨年三月の御講で「「過去一年半で八十人に本尊を下付したが、家に本尊を安置し、登山や御講に参加した人はたったの九人。残りの七十人は退転ですよ」とも言っている。実に酷い実情だ。こんな信彰が僧俗指導会で指導していること自体が、日顕宗が健全な団体ではない証拠である。坊主だけではない、連合会委員長の柳沢も自ら範を示すこともなく、ただ小言を言っているだけだ。昨年五月の西中国地方部の激励会に出席した柳沢は、「地方部二十一ヶ寺の内、半数以上の十三ヶ寺で御講参詣者数が減少している」「地涌倍増とは、御講参詣者数を倍増することだ」と述べている。

 柳沢は「御講参詣者数を倍増」と言っているが、これは結局、坊主に折伏の責任を押し付けているだけだ。そこには、自分が法華講の責任者として決着をつけようという決意は微塵もない。法華講も、「こんな姿勢で折伏などできるわけがない」と笑っている。

 それにしても「二十一ヶ寺の内、半数以上の十三ヶ寺で御講参詣者数が減少している」とは、何とも悲惨な状況である。これでは、「信徒倍増」どころか、「信徒半減」である。

 昨年十一月二十七日に行われた支院長会で、「折伏はしなくちゃいけない。それは僧侶も信徒もわかっている。具体的な体験をみんな聞きたがっている」という要望が出された。これは、裏を返せば、住職たちも法華講の幹部も折伏の体験がない、つまり、今の宗門は折伏の素人の集まりだということだ。もちろん、法主の早瀬も折伏の体験などない。折伏をしたことのない坊主たちが指導しているのだから、結果は火を見るよりも明らかである。

 また、この支院長会で平成二十一年の登山計画が発表された。平成十四年の「三十万登山」の時のような取り組みはなく、年間を通して「記念総登山」と意義づけた。一年間の登山者数を累計して倍増に見せかけようという魂胆が見え見えである。しかも、それは一人が何度も登山させられた上での「数合わせ」である。宗門は一貫して「逃げ腰」なのである。

 日顕は平成四年一月の末寺住職初登山の会合で「学会のような団体はなかなか出現しないが、またいつか、そういう団体が現れて折伏をする」という話をしている。この日顕の発言は機関誌に掲載されていないが、これが日顕の折伏に対する考えの根底にある発想だ。

 宗門は「僧侶主導」という言葉を使うが、その言葉の裏に隠されている意味は”僧侶が信徒に折伏をさせる”というものだ。今の宗門の住職たちはどうしても、この発想から抜け切れない。彼らは信徒に全てを依存しており、自立した信心ができていない。この”信徒に依存した信仰”は長い檀家制度の中で培われたものだから、簡単に変わるものではない。「行動の年」などと銘打って、八木のように口で「まず第一に住職が先頭に立って行っていくという姿勢が大事だ」と言いながら、言っている本人が実行できない。する気配もない。早瀬も「信徒の下種先に、私も一緒に行くからと言って、行きなさい」と指南しているが、早瀬本人もそれができない。

 折伏というのは観念でできるものではない。大聖人の弟子として「詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん」との覚悟がなければ到底できないのだ。創価学会には、その仏意仏勅と自立した信仰が、三代会長の「一人立つ」戦いを源流にして、「学会精神」として脈打っている。だから、未曾有の折伏ができるのである。

 坊主は信徒に依存し、信徒は衣の権威に依存している。互いに依存しているから、最後には責任の擦り合いになる。だから、彼らの行き着く先は「敗北」と「内紛」だけなのだ。(編集部)

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