新・改革通信 NO.74 (2007.09.12) 嫉妬に狂って「竜の口の法難」の黒幕となった良観

同じく嫉妬から「C作戦」を断行した日顕。
その本質は「天魔」の所業
文永八年(一二七一)九月十二日、平左衛門尉が武装した兵士を率いて松葉ヶ谷の草庵を襲った。大聖人は捕らえられ、何も取り調べがないまま、夜半に竜の口に連行された。平左衛門尉らは密かに大聖人を斬首しようと謀っていたのである。しかし、まさに刑が執行されようとしたそのとき、突然、江ノ島の方から大きな光りものが夜空を走り、兵士たちはこれに怖じ恐れて、刑の執行は不可能となった。これが「竜の口の法難」である。

この法難の黒幕となったのが、大聖人との祈雨の勝負に敗れた極楽寺良観であった。良観は大聖人に怨嫉し、幕府の力を利用して、迫害を企てたのだ。

嫉妬から迫害を企てた良観と日顕
この迫害の構造は、日顕が仕掛けた「C作戦」にも共通している。

まず、動機である。良観が恐れたのは、大聖人の仏法によって、民衆が目覚めて、寺院や僧侶の権威をないがしろにすることだった。それは、信徒の供養を貪っていた当時の僧侶たちにとって、自分たちの生存を脅かす脅威と写ったからに違いない。

日顕も同じである。日顕は、池田名誉会長がいる限り、自分は宗門の頂点に立てないと思った。また、日顕は学会員が池田名誉会長の指導で自立し、強い信心に立つことで、僧侶の権威になびかなくなることを恐れていたのである。

次に、「世間の目を欺く」という姑息なやり方である。良観と結託した平左衛門尉らは、わざわざ深夜を選び、人目につかない場所でこっそりと大聖人の首を刎ねようとした。

日顕も卑劣な方法で池田名誉会長の首をカット(CUT)する「C作戦」を決行した。表向きは「宗規の改正」と言いながら、それならば本来、事前に創価学会に連絡するべきところを、年末で聖教新聞が休刊する時期を選んだ。そうすれば、創価学会の対応が遅れると計算したのである。

破門により、大聖人の本来の教えに立ち戻った創価学会
しかし、「一善にかつ事なし」との御金言の通りである。大聖人は竜の口の法難を勝ち越えて、凡夫の迹を払って、久遠元初自受用報身如来という本地を顕された。

そして、創価学会は、宗門に「破門」されたことにより、「僧俗差別」の世界から解放され、「自らの仏界を湧現する」という大聖人の本来の教えに立ち返った。大聖人の「発迹顕本」とは次元は異なるかもしれないが、「本来の姿を顕す」という意味では、自立した創価学会の宗教改革運動は、「発迹顕本」に通じるものがあるのではないか。

偶然ではない「光久の乱」
今まで何度も述べてきた通り、今の宗門、「日顕宗」は日顕の”嫉妬”と”恨み”が産んだものである。しかし、所詮、感情から生まれたものは、時間と共に崩れていく。それが道理である。

それを証明したのが、今回の能化・光久日康の宗門批判である。

光久は「今日の宗門の疲弊を招いたのは学会を破門したことに原因がある」と指摘している。まったくその通りである。広宣流布を進めている指導者とその団体を抹殺しようという極悪の一念は、自らの体を食い尽くしてしまう。これが仏法の因果応報の原理である。

だからこそ、宗門の疲弊を防ぐ方法は「宗門トップはその非を謝り、学会トップと話し合うべきだ」ということになる。嫉妬と恨みから出発した宗門の軌道を修正をする方法は、その始まりに戻って、修正するしかない。根本の一念を変えるしかないということだ。

日顕が過剰反応した理由
日顕がこの光久の発言に過剰なまでに反応した理由は、光久の批判が日顕の一番、痛い所を突いているからだ。しかも、光久は平僧ではない。能化という高僧の立場にある。その発言が宗門に与える影響は大きい。

日顕が恐れたことはそれだけではない。光久が自分のニセ相承のことをどれだけ知っているか、それこそが一番の脅威であっただろう。

光久もそのことがわかっているから、つまり、日達法主が日顕に相承していないことを知っているから、強気で日顕らを批判できたのであろう。

たしかに、光久は謝罪を強要されたが、それまでに時間がかかっている。光久が最初に複数の住職に対して話したのは五月である。おそらく、日顕、信彰、八木たちは、光久が河辺のように何か日顕のニセ相承に関する証拠をつかんでいるかどうか、探っていたに違いない。しかし、時間とともに同調者が現れかねない。そこで、光久に同調する者、特に日達法主の弟子に対する見せしめとして、全国教師講習会で謝罪をさせたのであろう。

宗門の歴史を知っている五十歳以上の住職の中には、今回の光久の宗門批判に同調する者が少なからずいるに違いない。所詮、日顕の感情から始まった学会の破門が、いかに馬鹿げたことであるか、彼らは理解しているのだ。ただ、彼らは生活があるから、表立って声を出せないだけだ。

広宣流布を妨げる悪の所業は必ず、自滅の結果を生む。そして、迫害された法華経の行者はますます栄えていく。これが仏法の正邪であり、世界に発展し続けている創価学会がそのことを証明している。(編集部)

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