新・改革通信 NO.79 (2007.12.23) 日蓮正宗の「再生」の道を放棄した日顕の大罪!創価学会出現以前の宗門は、「死に体」だった(三) [日蓮正宗改革同盟]

 日顕の父、日開こそ、近代の宗門を混乱に陥れた張本人であると言っても過言ではない。事実、日開による「日柱法主引き落とし事件」は、宗門内の派閥争いで収まらず、文部省や警察を巻き込む大事件に発展した。 そして、その恥ずべき事件は、当時の新聞で報道され、世間の知ることとなったのである。


怨念に取り憑かれていた日開
 大正十四年(一九二五年)十一月十八日から、大石寺において宗会が開かれた。この宗会の初日に、二十六名の僧侶が秘密裏に日柱法主を追い落とすための「誓約書」に署名していた。

 その「誓約書」は、「現管長日柱上人ハ私見妄断ヲ以テ宗規ヲ乱シ、宗門統治ノ資格ナキモノト認ム、吾等ハ、速カニ上人ニ隠退ヲ迫リ宗風ノ革新ヲ期センカ為メ、仏祖三宝ニ誓テ茲ニ盟約ス」との一文から始まり、八項目にわたって日柱法主への批判が書いてある。

 そして、その四番目に「阿部法運ニ対シ強迫ヲ加ヘ僧階降下ヲ強要シ」とある。 阿部は、この宗会の約四カ月前に日柱法主より処分され、総務の職よりはずされただけではなく、能化より降格されていた。

 能化の地位を失うということは、管長候補者としての資格を失うことを意味していた。この阿部の処分は、日蓮宗系の学者であった清水梁山との問答で、阿部が失態を演じたことが原因であった。

 日柱法主の退座理由に阿部の処分問題が挙げられているということは、この「誓約書」の作成に阿部が大きく関与していたという証左である。

 日開が、自分を処分した日柱法主に対して、怨念を抱いていたであろうことは想像に難くない。

日開らは、法主を三宝に入れていなかった
 この「誓約書」を読んで分かる通り、当時は法主を批判するのに、「仏祖三宝ニ誓テ」いる。すなわち、法主は三宝に含まれていなかったということである。

 日顕らは、盛んに「法主は三宝の一つであり、法主批判は三宝破壊」と叫んでいるが、その論法で言えば、誰よりも日顕の父・日開こそ、三宝破壊の者になってしまう。

 日顕が、自分たちに都合の良いように、三宝の定義をコロコロ変えるから、自分だけでなく、父親の首を絞める結果になるのだ。

新聞で「脅迫事件」と報道される
 宗会は「誓約書」の筋書き通り、二十日に突如、日柱法主の不信任を決議して、辞職を勧告した。同時に日柱法主への嫌がらせも行われ、十八日の夜半、客殿で勤行中の日柱法主に対して、ピストルのような爆発音をさせて威嚇したり、客殿に向かって瓦や石を投げつけた僧侶がいた。

 蓮正寺住職河田がその事実を自供したことが、当時の『朝日新聞・静岡版』(大正十五年二月二十日付)に書かれている。

 大石寺の脅迫事件 取調大に進行 日蓮正宗大石寺管長脅迫事件の取調べは大いに進行し大石寺の最高幹部の僧侶十三名は夫々大宮署に召喚十八日深更まで取調べ 身柄は一時放還されたが大宮署では有力なる証拠を握つたらしく更に十九日には柚野村蓮正寺住職河田正平(二六)を召喚取調べたが その結果昨年十一月十八日夜半前管長土屋日柱師が本殿にて勤行中ピストルやうの爆音をさせたり本殿に向つて瓦石を投げつけたことなどを自供したので 共犯関係にある大石寺宗務院加藤慈忍(二二)をも同日午後引致し 教さ関係について取調べ中で事件は各方面に波及するや大石寺問題は遂に破裂訴訟ざたとなるうである

 結局、日柱法主は二十二日に辞表を書き、当時の宗会議長であった小笠原慈聞ほか三名が同日にその辞表を文部省に届出。届出の手続きは二十四日に完了し、次期法主は「誓約書」にある通り、堀日亨法主とされた。

檀家が宗会の退座要求は不当と訴える
 ところが、大石寺の檀家総代らが、自分たちに何の相談もなく事が進められていたことに怒り、二十七日の早朝、三名の代表を文部省に行かせて、宗会の退座要求が不当であると、陳情を行ったのである。

 文部省宗教局は、檀家総代らの陳情に基づき、二十九日、三名の僧侶を召喚した。そして、宗教局長はこの三名の僧に対し、「貴僧等は社会を善導教化すべき責任の地位にありながら今回の暴挙を敢て為すは何事か」(『静岡民友新聞』大正十四年十二月三日付)

 と厳しく追及し、十二月一日までに、日柱法主に対する不信任決議書と辞職勧告書を回収して、文部省に提出するよう命令したのだった。

 帰山した三名は日柱法主に対し、二通の書面の返却を懇請したが、書面はすでに檀家総代の手に渡っていた。大勢は逆転し、宗会側僧侶三名は、日柱法主と上野村村長の立ち会いのもと、詫び状を檀家総代に提出し、やっとのことで二通の書面を返却してもらった。

 宗会議員たちは十二月二十四日に管長の交替を文部省に届け、五十九世法主は日亨上人に決まった。しかしここから、大石寺は二つに分かれ、泥沼の争いが始まる。

 これが、創価学会出現以前の宗門の実態である。とても、日蓮大聖人の正義を受け継いでいる姿とは思えない。さらに、事態は、信徒を巻き込んで、悪化していく。(続く)

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